参加者が「一般人」から「芸能人」へ

だが、本来は逆だ。カラオケ企画も、大規模なかくれんぼや鬼ごっこも、当時としては炎チャレが先駆的に試みてきた。ほかの番組が「炎チャレで見た」と言われることはあっても、炎チャレが「別番組で見た」と言われる筋合いはない。炎チャレこそが原典であり、ほかが後追いのはずだからだ。

それでも復活版を見ていると、どうしても「別番組で見た」という印象が拭えなかった

なぜか。炎チャレのおもしろさの“核心”が抜け落ちていたからだ。かつての同番組は、視聴者参加型だった。落ちてくる紙を箸でつかんだり、猿とうんていで競争したり、ウッチャンとナンチャンの顔を模した卓球台でラリーをしたり……。

誰でもできそうで、なかなかクリアできない、しかし成功したら大金が手に入る。そんなゲームに普通の人がチャレンジする番組だった。競技によってはテレビらしい大掛かりなセットもあった。

皮肉っぽく言えば、「素人」が「夢の箱」に入り、テレビごっこを体験する番組だったのだ。参加者にとっては現実体験として。視聴者にとっては仮想体験として。その体験が炎チャレのおもしろさの核であり、番組の価値だった。

「炎チャレ」への出演を夢に見た人も多いはず(画像はイメージです/Shutterstock)
「炎チャレ」への出演を夢に見た人も多いはず(画像はイメージです/Shutterstock)

しかし、今回の復活版のチャレンジャーは、すべて芸能人。炎チャレ特有の体験価値が完全に失われていた。だから「よくある番組」に見えてしまったのだ。

もちろん、テレビはすでに夢の箱ではない。また、視聴者参加番組は以前より作りづらくなっている。それこそ昨年末に復刻された『ザ・イロモネア』(TBS系)では、SNSで一般審査員に対する誹謗中傷が散見され、番組側が公式サイトで注意喚起の文書を発表する事態となった。テレビは夢の箱どころか、デジタルタトゥーの刻印機になりかねない。

そうした意味では、番組のコンセプト自体が時代に追い越されたのかもしれない。