集団的な危機的認知の表れ

まだ捕まっていない、いつ、どこで、誰を襲うかわからない。その点で連日クマ出没の報道を我々が追ってしまう気持ちも理解できる一方、クマ出没に限らず、いま世界中で多くの人の命が脅かされる事件や争いは起きている。ウクライナ戦争やガザ地区などの問題もそうかもしれない。

ところが、多くの人は遠く離れた海外の危機より、クマ出没の報道に関心を向けてしまう傾向にある。その理由は?

「理由は明白です。前述したように、人間は心理的な距離によって情報の重要度を測る傾向にあるからです。人間は遠くの複雑な情報よりも、被害が目前に迫り、生きるか死ぬかの判断が迫られる情報に、より強く関心が向きがちであることがわかっています。

また、ここ数ヶ月で笛やスプレーなど、クマ対策商品の売上が急増しているという報道があります。クマへの恐怖が『対策グッズを買っておけば安心できる』という具体的な自己防衛行動へと変換されたのです」

全国各地でクマの目撃情報が相次いでいる
全国各地でクマの目撃情報が相次いでいる
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さらに遠藤氏は、クマの出没は4〜5年前に起きたある現象にも似ているという。

「集団的な危機的認知の表れという意味では、2020年代前半に世界中の人が経験した新型コロナウイルスの脅威に対する集団心理と構造がよく似ています。情報が飛び交うが、具体的な対策はまだ確立されていない。さらに、クマも出没するまでは見えない存在という意味ではウイルスに似ています」

たしかに、クマもコロナも、被害に遭う人に必然性はなく、存在は被害に遭う直前までは見えないものだ。

極めて理不尽な存在という意味では一致しているのかもしれない。

「相次ぐクマの被害に対して、行政の対策が進展しないまま続けば、この悲しく、理不尽な事件は繰り返し起き続けます。

これ以上、国民の尊い命が奪われる悲劇が起きないよう、国全体で早急かつ抜本的な対策を進めることを、一人の学者として、また一人の日本人として、私は切に願います」

集団心理のメカニズムが理解できても、連日被害者が出ていることに変わりはない。抜本的な解決策がない以上、新型コロナウィルスのように”自衛”するしか我々に残された対策はないのだろうか。

文/遠藤貴則