NHK内部の人間が、こうした状況を理解していないはずがない

NHKの内部にいる人間が、こうした状況を理解していないはずがない。理解しているからこそ、支払いの大義名分が抽象化され、「公共放送の使命」という表現に集約されていく。

制度を変えられない理由は明確だ。制度を変えることは、組織の存続にかかわるからである。NHKの収入の大半は受信料であり、広告収入に頼らない仕組みは、公共放送としての独立性を支えてきた。

しかし今のNHKがスクランブル化や任意契約に移行した瞬間、視聴していない層の支払いは止まり、受信料収入は一気に減少する可能性が高い。

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NHKの組織は、その衝撃に耐えられる設計になっていない。全国ネットワーク、災害対応体制、専門職の長期雇用――これらは短期で削減できない固定費である。一度縮小すれば、元の規模に戻すことは困難を極め、公共放送の機能そのものが失われる恐れがある。

NHKは、「現実に合わせて制度を変え、組織の規模縮小を受け入れる」か、「制度を守り、組織を守る」かという選択を迫られた。その結果、民意を理解したうえで、後者の「制度を守り、組織を守る」という選択をしている。

この状態は国民から見れば不誠実に映るだろう。だが内部論理としては一貫している。制度を動かせば崩れ、崩れれば公共放送としての役割を果たせなくなる。現状維持は消極的な逃避ではなく、防衛手段として選ばれているのだ。

問題は、この防衛が長期的に見て成立するかどうかである。

海外の公共放送では、受信料制度を見直し、税方式や選択制に移行した例も存在する。英国の公共放送であるBBCでも、受信料制度の持続可能性が議論されている。

それでもNHKは「公共放送の使命」をことさらに強調する。しかし受信料制度そのものや、NHKの運用の在り方への国民の不信感はもうすでに限界まできているのではないか。

受信料制度を現行のまま防衛し続ける結果として起きるのは、突然の崩壊ではなく、「静かな失墜」だろう。受信料制度は維持され、組織も存続されるが、NHKの公共放送としての信頼は、このままでは少しずつ、確実に、削られていく。

督促は強化され、裁判も増え、国民の心はNHKからどんどん離れる。若者のテレビ離れによるNHK離れも深刻だ。

信頼を失った公共放送は、公共であり続けることができなくなっていく。災害時に情報を出しても、反発が先に立つかもしれない。平時の番組はどんどん見られなくなり、若年層との接点はさらに細る。

NHKを視聴する国民が減れば、その影響も当然、徐々に失っていく。立法府は、総務省は、国は、この状況をどこまで放置し続けるのか。公共放送の大義は先送りできるほど軽微な問題なのか。

NHKの受信料制度は「強制を前提にした制度」から「公共性を条件とした選択型制度」へ段階的に移行すべき時がきているのではないか。先送りすればどんどん状況は悪化する恐れがある。国会でNHK受信料制度問題の議論が進むことを、筆者は心から願っている。

文/村上ゆかり 写真/shutterstock