NHKがこの整理を公式に認めることはしない

だがNHKがこの整理を公式に認めることはしないだろう。

公用車で認めれば、その論理は必然的に一般国民の車両に波及する。業務用であれ私用であれ、カーナビの設置目的は同じである。

「視聴を目的としない」という評価が成立すれば、個人のカーナビも同様に扱われ、これまで契約対象としてきた相当数の世帯や事業者が、契約義務から外れる可能性が生じるからだ(ちなみに一般家庭における「自家用車」の場合、住居ですでに受信契約を結んでいれば、たとえ車にテレビ番組視聴が可能なチューナー付きのカーナビが搭載されていても、世帯同一性が認められるため追加契約の必要はない)。

〈NHK受信料〉役所には甘く国民に厳しい「鬼のダブスタ督促状」…公用車カーナビ問題が突きつけた根本的疑問_2

だが今の状況では、制度防衛のために常識を押しのけているようにしか国民の目には映らないのではないか。  

ここで生じる不信は、金額の問題ではない。なぜ設置する目的を考慮しないのか。なぜ、明らかに視聴目的でない公用車にまで受信契約の義務を課すのか。この問いに対し、NHKは正面から「収入が減るかもしれないから」とは言わず、説明は抽象化する。

NHKの公式ホームページには、「NHKのテレビ放送を見ていないので、受信料を支払いたくない」という問いに対し、「公共放送としてのNHKの運営を支える財源は、テレビ等の受信機を設置またはNHKの配信の受信を開始しているすべての方に負担していただく受信料によることが、最も適切であるとの考え方に基づくものです」と記載されている。

このNHKの回答は、なぜ視聴していない人まで負担する必要があるのか、なぜ設置目的や利用実態を考慮しないのかという国民の本質的な疑問に応えられているものではない。この回答では、かえって国民は自分たちの感覚が切り捨てられたと感じるのではないか。

「公共放送が公共性を失っている」

さらにNHKはカーナビ受信料について警察や自治体に対しては「丁寧な周知」に留める一方、一般国民には受信料の督促を強化するという方針を執ると報道されている。

実際、2025年3月には愛媛県警が捜査用車両に設置したカーナビ38台分の受信料、約644万円を支払っていなかった事案が判明した。さらに島根県警や愛知県警といった地方警察でも同様の未払いが次々と発覚している。

これでは、NHKは自らの組織を守るためだけに都合よく運用しているだけのように映り、さらなる不信を招く恐れがある。

受信料制度が作られた1950年当時、受信機とはほぼテレビそのものであり、テレビを持つことはイコールNHKを見ることを意味していた。だが現在では、受信機という概念は極端に広がり、スマートフォン、パソコン、カーナビ、ゲーム機など、映像を受信できる機器は生活の隅々に様々に入り込んでいる。

にもかかわらず、受信料制度だけが1950年当時のまま「受信できるかどうか」という一点に立ち続けている。公共のためと言いながら、目的外利用が明らかな機器からも徴収する。それには「公共放送が公共性を失っている」と感じている国民は少なくない。