子どもや奥さんの顔出しには抵抗があった

「SAGAさが〜♪」という歌詞でおなじみの『佐賀県』が大ヒットし、佐賀県にも注目が集まった2003年。ベースを肩からさげ、とんがり頭でテレビに引っ張りだこだったはなわは、現在もライブやステージで活躍している。芸歴30年を迎えた彼の芸人人生と佐賀に対する想い――。


――ヒット曲「佐賀県」で急に売れたと思いますが、どのくらい生活が変わりましたか?

もう訳がわからないくらいに、人生が180度変わりました。僕の場合、印税だけでなくて、芸人としてのテレビの出演とか、イベント営業の数とか。いろいろなものが一気にきたので、宝くじが当たった感覚に近いです。

でも、お金の面はどうでもいいというか、正直よくわかっていない感じでしたね(笑)。

――高級車を買う、高価な時計を集める、豪遊する…そういったことはしなかったんでしょうか。

はい。妻(智子さん)は幼少期に結構大変な生活を経験しているのですが、お金の欲もそんなになくて「こんなにお金持っちゃって良くない!」と、夫婦で話してましたね。

僕がテレビに全く出れなくて全然仕事もなくて、そんな貧乏な状態で子どもも生まれた。妻と息子と3人で大変な暮らしをしていたんですよ。だから、テレビにたくさん出れるだけで満足でした。

『笑っていいとも!』に出演できたとか、明石家さんまさんやダウンタウンさん、ビートたけしさんとお仕事できるってことだけでもすごい嬉しかった。それでギャラまでもらえる。すごい幸せなことですよね。

「佐賀県」大ヒット時のことを話すはなわ 撮影/佐藤靖彦
「佐賀県」大ヒット時のことを話すはなわ 撮影/佐藤靖彦
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――好きなことで稼げるってなかなかできないことですよね。今でもその価値観は変わりませんか?

当時は本当にお金じゃなかった。……今はね、芸歴30年なんで「この仕事っていくらぐらいなんだろう?」なんて思うようなこともあったりなかったり(笑)。

――色々なメディアで見る機会が多いはなわさんですが、今はどんなお仕事をメインでされていますか?

お笑いという活動があって、そして楽曲制作、ミュージシャンという活動があって、あとは今YouTubeをやって、YouTuberというものがあったり、あとは何だろう? いろんな肩書きがあるんですよ。

僕はいろんな肩書きがあって「お前は一体何屋なの?」と、言われることを目指してやってます。それが一番気持ちいいし「僕も何屋か分かりません!」っていう感じでやっていきたいんですよ。でも、やっぱり好きなのは歌ですね。