「北の富士さんは生きる文献であり大辞典。その貴重な話でますます相撲が面白くなった。その魅力を観ている方に伝え続けたい」【元NHKアナウンサー・藤井康生さんインタビュー後編】_1
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祖父の解説を聞きながら

――北の富士さんの話を大きな熱量で「聞きたい」「残したい」と思われたのは、藤井さんご自身の相撲愛も大きいからだと思うんです。幼い頃から大の相撲ファンだったそうですが、相撲の何が藤井少年の心を捉えたのでしょうか。

藤井康生(以下、同) 祖父が「相撲が見たいから」と、決して裕福でもないのにいち早くテレビを買ったくらいの相撲好きだったことが大きいと思いますね。祖父の胡坐の中に座って一緒に相撲を見ていると、いろいろ説明をしてくれたようです。「この人がね、大鵬という力士で、そのうち絶対強くなるから見ておきなさいよ」というふうに。3歳ぐらいからそうして相撲に興味をもち始めて、小学校に入ったころには、場所中は早くテレビが見たくて、学校から走って帰っていたのを覚えています。

――藤井さんの時代、子どもたちの間での相撲人気はどうでしたか?

人気はありましたよ。野球も人気でしたけど、野球は道具が必要でしょう。相撲は土俵の円さえ描けばできる。3つも4つも描いて、強いグループ、弱いグループに分けて相撲をとって遊んでいましたね。

みんな自分の贔屓力士の四股名を使いたがるんですよ。大鵬、柏戸、北の富士もいたんじゃないかな。僕はちょっとひねくれていたんで、開隆山(かいりゅうやま)っていう、体はあんまり大きくないけど、蹴たぐりとかいろんな技を仕掛ける曲者のお相撲さんでした。

大相撲アナか、プロ野球アナか

――ずっと相撲好きでいらして、将来、相撲に携わる仕事がしたいと思われていたんでしょうか?

いや、それが全く。相撲自体は学生時代もずっと見ていましたけど、まさかここまで大相撲に関わる人生になるとは思ってもみなかったです。

放送局に興味はありました。でも、まさかアナウンサーになることは考えてもいなかった。NHKにアナウンサーとして採用されたときも「大相撲中継を担当したい!」とまでは思わなかったですね。でもスポーツは好きでしたから、上司には「スポーツの中継放送に携わりたい」と言い続けていました。

NHKでスポーツを担当するアナウンサーになるためには、まずは高校野球。新人のときは地方局に赴任するんですけど、そこで予選の中継を経験して、最終的に甲子園で中継放送して、ある程度の合格点をもらわないと、スポーツアナウンサーの一員とは認めてもらえないんです。

そこで「藤井も一応スポーツの一員だよ」と認められて、何の競技を柱にするかという話になるんですけど、私は「大相撲をやりたいです」。でもプロ野球も好きだったので「プロ野球もやりたいです」と欲張った。当時はまだJリーグがないから、サッカーという選択肢はなくて、大相撲かプロ野球か、そのどちらかを柱にしながら、バレーボールであったり、陸上競技であったり、水泳であったり、それは枝葉としてついてく感じなんですね。

大相撲アナウンサーの先輩の前では「大相撲やりたいです」って言いながら、野球の先輩の前では「もちろんプロ野球です」って答えていました。調子がいい話ですよね(笑)。

それで当初は大相撲とプロ野球、両方担当していたんです。でもプロ野球はシーズンの3月ぐらいから10月ぐらいまでが忙しいのですが、相撲はその間、三月場所、五月場所、七月場所、九月場所とあるわけです。両立できるわけがないんです。

今はプロ野球でも12チームのデータや選手のデータもネットですぐに調べることができますけど、当時は全部、自分で集計するしかないんですよ。12チーム全員の前日の成績をノートに記録していく。それだけで毎朝2時間以上かかるんです。

これはもう無理だということで大相撲に絞ることにしました。

――熱烈志望で大相撲アナウンサーというわけではなかったんですね。

そこまでではなかったですね。でも大相撲の仕事を始めると、長年、好きで観てきた土台がありますから、なじむのは早かったですね。決まり手や力士の特徴なども頭に入っていましたから。

「北の富士さんは生きる文献であり大辞典。その貴重な話でますます相撲が面白くなった。その魅力を観ている方に伝え続けたい」【元NHKアナウンサー・藤井康生さんインタビュー後編】_2