家を持つことの危うさと人生の意味
結婚した人は、いまでも結構な割合で「家を買いたい」と言う。地方住まいの夫婦だと、その割合がさらに高まる。哺乳類の生態に根づいた考えなのだろうか。子どもを産んで、安全に育てるのは親の役目だ。そのために家=巣を、「安定したもの」にしたいという本能が働くのかもしれない。
それによく聞くのが、「賃貸は家賃が勿体ない」という意見だ。しかしそれは家を持つことの危うさも、人生の意味をも全く理解していない人の考えだ。
僕も結婚していた頃、当時の妻の願いで、家を買った。だが2年ほどで離婚してしまい、さっさと売り払った。物件としては良かったので、ほとんど損しなかったのは救いだ。
その経験があるからではないが、持ち家論には、まるっきり同意できない。
平成が終わったいま、家を持つ必要性はどこにもない。むしろ、数千万円ものローンを組むことは、高い確率で破綻するリスクを抱えるようなものだ。
まず持ち家には、固定資産税がかかる。ローンの金利もとられる。建物の上物の価値は年々減価していく。比較的安定していると言われる地価にも、景気によって大幅な変動リスクがある。
快適な生活空間を保つために、壁や屋根、水回りなど、いくつもの消耗箇所のメンテナンスを続けていかねばならない。また持ち家は、ライフスタイルの変化への対応が困難だ。
世帯の中心である父や母が若いうちはいいけれど、高齢になれば平気だったはずの廊下の小さな段差や階段が、だんだん辛くなってくる。いずれ転倒防止のバリアフリー化の手間がかかるかもしれない。
30代ぐらいの感覚で選んだ(または新築した)家に、数十年後もそのまま気持ちよく住み続けられる可能性は、かなり低いはずだ。













