「お前の気持ちはわかるんだけど」
「ヨウは誰に対しても自分の想いを言える。俺とは違うところだ」
ライオンズのコーチになる前から、カズさんは時折、そんなふうに僕のことを評してくれた。カズさんとは、現役時代の成績には歴然とした差があるが、その後、指導者として携わったポジションには共通するものも多い。
二軍監督、ヘッドコーチ、監督。
どれも苦労が多いポジションである。
カズさんが現場を離れ、こうならないために自分に何ができただろうか、と振り返ることがある。
一軍打撃コーチとヘッドコーチの関係だったとき。ヘッドコーチと監督の関係だったとき。いずれもカズさんは、周囲の人間に気を配り続けた。
ときには自分が思っていることと違うことを提案されても、それを受け入れる度量があった。これは、できそうでできないことだ。僕自身、その立場を経験しているからわかる。他のコーチの助言を聞き入れ、それがうまくいかなかったときの後悔は半端なものではないのだ。
もしかするとカズさんも「自分の思ったこと」にもっとトライしたいのではないか。
そう思い、なるべくカズさんが「やりたい」と思っている「勝てる」「選手が成長できる」決断をできるように、と準備をしてきた。
それはヘッドコーチであれば当然の仕事である。野手、投手、すべての選手に目を配り、その状態や「心の温度」を計るようにした。
各担当コーチと連携をし、それぞれが選手の状態をどう把握しているのか。それぞれの選手のチームにおける立ち位置の把握。レギュラーなのかリザーブなのか。代打なのか代走なのか、守備固めか。リードした展開で登板するのか、ビハインドで投げるのか。
どういうデータの傾向が出ているか。クセはないか、対戦相手との相性は、相手のコンディション……。
一方で選手たちにも、監督であるカズさんが「やりたい」と思っていることをスムーズに受け入れられるよう、準備を促した。
でも、ライオンズを勝利に導くことはできず、おろかカズさんに全責任を負わせる形にしてしまった。
きっとカズさんは僕に対しても、我慢しているところがあったのだろうと思う。ときどき、カズさんと意見が食い違ったこともある。「お前の気持ちはわかるんだけど」カズさんはそう言ってくれた。
近い関係だったからこそ、僕自身が悩んだこともあった。
何ができたか、に答えは出ない。悔しさはあれど、やってきたことに後悔もない。苦しかったけれどライオンズでもいい出会いに恵まれた。結果を出せず、ファンの方には申し訳ないが、僕にとっては大切な財産になった時間だった。
文/平石洋介













