「僕にも責任があります、僕も一緒に辞めます」

2022年に僕がライオンズに入るきっかけは、GMの渡辺久信さんが「うちには平石君のような人材が必要だ」と意見をまとめてくれ、カズさんが後押ししてくれたことだったという。

平石洋介氏。1980年4月23日生まれ。大分県出身。PL学園から同志社大学、トヨタ自動車を経て、2004年ドラフト7位で東北楽天に入団。11年限りで引退後は同球団でコーチ、二軍監督、監督を歴任。20年から2年間は福岡ソフトバンクのコーチ、22年は西武の打撃コーチとなり、23年に埼玉西武のヘッドコーチに就任。24年限りで退団した。(写真/杉田裕一)
平石洋介氏。1980年4月23日生まれ。大分県出身。PL学園から同志社大学、トヨタ自動車を経て、2004年ドラフト7位で東北楽天に入団。11年限りで引退後は同球団でコーチ、二軍監督、監督を歴任。20年から2年間は福岡ソフトバンクのコーチ、22年は西武の打撃コーチとなり、23年に埼玉西武のヘッドコーチに就任。24年限りで退団した。(写真/杉田裕一)
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そして実際に声を掛けてくれたのは、この年から一軍ヘッドコーチとなるカズさんだった。あのときの電話の言葉は忘れない。

「とにかくヨウに力を貸してほしい。一緒にやってくれないか?」

このときの僕は、ホークスから新たに別のポストをオファーされていた。そんな中で、いつか一緒にやりたいと思っていたカズさんからの電話に、迷いはあったものの「ライオンズに行こう」と決断した。

それなのに、カズさんの力になることができなかった……。

「松井監督の休養と渡辺GMの監督代行就任」が選手、スタッフに告げられ、カズさんがみんなの前で話をして解散となった。すると、球団の人がやってきて言った。

「話、できますか?」

悔しさと予期せぬ出来事に心の整理がつかない僕は球団にお願いをした。

「まず、監督(カズさん)と話しをさせてもらえませんか?」

カズさんは前から知っていたのだろうか。

カズさんに呼ばれたライオンズ、責任は俺にもあるやろ。

一緒に、辞めるべきだ……。

聞きたいこと、言いたいことは、山ほどあった。

そこからふたりで、どのくらい話をしただろうか。どうやらカズさんにとっても青天の霹靂だったらしい。

「僕にも責任があります、僕も一緒に辞めます」

そう伝えたときのカズさんの言葉は忘れられない。

「お前まで辞めたら、残された選手はどうするんや」

戸惑いは、いつしか涙に変わり止まらなかった。