「上に立つ人間として、あのときは、ああすべきやと思った」
星野さんの言葉が放たれる空間は熱を帯びているように感じた。そして、再び「お前たちの気持ちは痛いほどわかっていた」と繰り返し、こう結んだ。
「あのときの俺の伝え方が正しかったのかはわからん。でも、上に立つ人間として、あのときは、ああすべきやと思った」
言葉がなかった。
それまで抱いてきた星野さんへの感情を悔いた。
それ以上に、自分を恥じた。
ずっと人と真剣に向き合うことを心掛け、実践してきたと思っていた。日本を揺るがす大災害によって視野が狭くなり、人の想いを汲み取り切れなかったのかもしれない。でもそれは言い訳だ。僕は単に「とんだ勘違いをしていた」のだ。
思い返してみれば震災があった直後、宮城に残っていたスタッフや家族はバスで避難をしていた。選手たちに安否確認を急がせ、どこに誰がいるのかを聞いて、リストを作り、迎えに行く。そのバスを手配してくれていたのも星野さんだった。
星野さんの本心を知ったあのとき、心に誓った。
「この人に、ついていこう」
それからというもの、僕は「星野監督」の想いを繋ぐことに努めた。
例えばあの日一緒にいた基宏や鉄平のように、僕と似た感情を抱いていた選手は多くいた。「でも、それは誤解だった」。そう伝えた。
もちろん、僕が星野さんの本心を伝えたところで、その誤解が解消されるわけではない。それでも伝え続けないといけないと思った。
「監督はお前のこと、こう思ってるぞ」
このときの僕は、「星野監督を信じてついていけば、このチームは必ず強くなる」。そう確信していた。確かに厳しい。「あの日」の対応ひとつをとってもそうだ。でも、「見えないところにいた監督・星野仙一」の思いは、血が通っている──。ただ、僕らには見えない、見せないだけだった。
2013年。
僕たちイーグルスは、悲願の日本一となった。野球ファンであれば、田中将大の大車輪の活躍を知るところだと思うが、星野監督のもと、心を奮い立たせたチームの勝利だったと思っている。
言葉ひとつ、行動ひとつ、振る舞いひとつ。
それだけでは見えないものがある。
星野さんのそれは、まさにリーダー、「監督としての覚悟」だったと思っている。
文/平石洋介













