「本心なわけないやろ!」

少し話が逸れるが、この本を読み進めてもらえれば、僕が気になったことは見過ごせない、年上、年下お構いなしに、その思いをぶつけてしまう、というシーンにたびたび出会うと思う。これは僕の性格である、ということを理解してほしい(笑)。

さて、その性格はあの星野さんに対しても同じだった。

初めての出会いからは想像できないくらい、星野さんとの距離は縮まっていた。きっかけは、おそらく2013年の試合でさせてもらったある進言だったと思っている。

その試合、星野さんはバントをするために代打を出そうとしていた。ただ、その選手はバントがうまくなかった。迷った末、思い切って星野さんに歩み寄った。

「バントなら森山(周)が一番うまいです」

そのときの森山は「代走のスペシャリスト」としてチームに欠かせない役割を担ってくれていた。もしかすると星野さんの中で「代走・森山」も想定しているかもしれない。

そう思い、話を続けた。

「このバントと、その後の森山の代走、(星野さんの中で)どっちが大事ですか?もしこのバントと思われるなら、森山を使ってください。森山となら僕、心中できます」

怒られるかもしれない、と思ったけれど「言わなければ後悔する」。星野さんは僕の進言を受け入れ、そして森山はバントを成功させてくれた。

以来、星野さんから声を掛けてもらい、食事に行くことも一気に増えた。

平石洋介氏。1980年4月23日生まれ。大分県出身。PL学園から同志社大学、トヨタ自動車を経て、2004年ドラフト7位で東北楽天に入団。11年限りで引退後は同球団でコーチ、二軍監督、監督を歴任。20年から2年間は福岡ソフトバンクのコーチ、22年は西武の打撃コーチとなり、23年に埼玉西武のヘッドコーチに就任。24年限りで退団した。(写真/杉田裕一)
平石洋介氏。1980年4月23日生まれ。大分県出身。PL学園から同志社大学、トヨタ自動車を経て、2004年ドラフト7位で東北楽天に入団。11年限りで引退後は同球団でコーチ、二軍監督、監督を歴任。20年から2年間は福岡ソフトバンクのコーチ、22年は西武の打撃コーチとなり、23年に埼玉西武のヘッドコーチに就任。24年限りで退団した。(写真/杉田裕一)
すべての画像を見る

かつて持っていた「冷たい人」とはかけ離れた人間性に触れ、逆に「あの一言」の真意が気になった。そして、ある食事の席でのこと、さすがに勇気を振り絞り、でもストレートに星野さんに尋ねた。

「震災が起きたとき、監督は僕らに『野球だけしとけばいいんだ』と怒鳴られました。あれは本心だったんですか?」

どんな表情をされていたかは記憶にない。

でも即答だった。

「本心なわけないやろ!」

その言葉は、怒っているようにも、諭すような優しさを含んでいるようにも聞こえた。そして、「あの日」のことを話してくれた。

「チームを預かるトップとして、お前らの気持ちは痛いほどわかっていた。でもな、あのときはまだ、被害が起きたばかりで被災者の多くが連絡も取れない。

行方不明者も日に日に増えて、家も車も大切なものも津波で流されて、町は瓦礫の山で、被災地はどうにもならん状況や。そこに俺ら一軍、二軍の選手、スタッフ総出で行けばマスコミだってついてくる。話題にはなるし、被災者も喜んでくれるかもしれない。

……それで何になるんだ?俺たちが大人数で被災地に行って、本当に行かなければいけない人たちが行けなくなったらどうする?

ずっと滞在してボランティア活動ができるなら、行く意味があるかもしれない。でも、ずっとはいられない。俺らは野球をしなくちゃいけないんだ」