コロナ禍で転機。都内から三郷へ引っ越し
––––2020年、コロナ禍をきっかけに都内から家賃の安い埼玉県三郷市に移住しました。当時はどんな生活をされていたんですか?
西尾秀貴(以下同) 1ヶ月の給料が7800円の月もあれば、まとめて何十万円も入る月もあったけど、やっぱり仕事が少なくて。貯金を切り崩しながら毎日毎日カフェに行ってSNS用に写真を撮るっていう、お金はないのにセレブみたいな生活でした(笑)。
あとは家に帰ってメシ食って、ダラダラして深夜4時くらいに寝て、朝は10時か11時に起きてまたカフェ行って……って生活でしたからね。お金も減っていくだけなので気持ちがどんどん腐って荒んでいきましたね。
2〜3年するとキツくなってきて、スタバは無理だからマックでアプリのクーポンを使って130円のコーヒーを飲むみたいな。それでもどんどんヤバくなって、さすがにバイトせなあかんってなったときに「放課後等デイサービス」のパート指導員募集っていうのを見つけて面接に行ったんですよ。
––––仕事内容は?
障がいを持っているお子さんたちの送迎をしたり、一緒に遊びながら見守りをしたりする仕事です。もともと子どもが好きだし、資格がなくてもできるということでやらせてもらったんですけど、毎日子どもたちと接していると「ひでくん、ひでくん」って慕ってくれて、どんどんかわいくなっていくんですよね。
で、その子たちのことを調べていったら施設にいられるのは高校生まで、卒業したらグループホームに入るって知りまして。
ちょうどその頃、お兄ちゃんと障がいを持つ弟が一緒に暮らす『ライオンの隠れ家』ってドラマを観て、「僕たちいずれひとりになるんだよ」ってセリフがあったんですね。それを見たら「この子たちはこの先どうするんやろ」って親戚のおじさんみたいな気持ちになりまして。













