ピンク・レディーのアメリカへの挑戦

ピンク・レディーは1979年、アメリカのワーナーブラザースと契約し、シングル「Kiss In The Dark」で世界40ヶ国でのデビューを果たしました。海外進出に至る経緯は詳らかになっていませんが(レコードデビューに先立ち1978年4月にラスベガスでの公演を実現させています)、前年に「UFO」で悲願だった日本レコード大賞を受賞し(この曲はピンク・レディー最大のヒット曲であり、オリコンで10週連続1位を記録しました)、続く「サウスポー」(初のオリコン初登場1位)以降、セールスにやや陰りが見えてきていたことから、世界に向かうことで国内人気を復活させる狙いもあったのかもしれません。

「Kiss In The Dark」に続き、同曲を含むアルバム『PINK LADY』もワーナーからリリースされました(『ピンク・レディー・インUSA』として日本でも発売)。「Kiss In The Dark」は、ショーン・キャシディやレイフ・ギャレットなど人気ティーンアイドルの楽曲を手がけていたマイケル・ロイドの作詞作曲で、完全な英語曲です。

軽快なディスコのリズムと流麗なストリングスをバックにミーとケイがノリノリで歌うキャッチーな曲で、ビルボードの「HOT 100」で最高37位まで上昇、ピンク・レディーは「SUKIYAKI」以来の快挙を成し遂げました。とはいえ、「Kiss In The Dark」は以前のピンク・レディーの曲とはまったくと言っていいほどテイストが異なっており、アメリカ側が、それまでにピンク・レディーが日本で培ってきたイメージとはほぼ無関係に彼女たちを売り出そうとしたことは明らかです。

1980年にはアメリカ三大ネットワークのひとつであるNBCでコメディアンのジェフ・アルトマンとピンク・レディーがパーソナリティを務める歌謡バラエティ番組「Pink Lady and Jeff」が全5回にわたって放送されましたが、たびたびミーとケイはビキニの水着姿にさせられており、ジェフの早口のジョークへの受け答え(主にミーが担当)は英語台本を暗記してこなしているように見えます。

アメリカ三大ネットワークのひとつであるNBC 写真/Shutterstock
アメリカ三大ネットワークのひとつであるNBC 写真/Shutterstock

つまり、かなり露骨にお色気路線を強いられていて、そこには「ジャパニーズ・ガール」への即物的な欲望も感じ取れます。

もちろん、このころのアメリカでの若い女性タレントの扱いも似たようなものだったのかもしれませんが、ピンク・レディーの場合はそこにジャポニズム/オリエンタリズムもあからさまに入っている。

「Pink Lady and Jeff」は動画サイトを探せばいまも観ることができますが、空疎な笑いに潜む差別的な視線は、現在の感覚からすると、かなり厳しいものがあります。