いま必要なのは祝祭の延長ではなく、覚悟の家計簿

もちろん、日本株の中身は過去より確実に良い。ガバナンスは前進し、自己株買いは文化になり、ROEは見た目だけでなく構造的に底上げされつつある。

親子上場の解消は資本最適化と少数株主の権利保護を同時に進め、余剰現金の再配分は株主還元と成長投資の両輪を回し始めた。だが、それは高値で買っても安全という意味にはならない。

期待と現実が正しく接続されるのは価格が冷える過程においてであり、寒さが骨身にしみたとき初めて企業の体温の違いが見える。冷え込んだ相場こそ、選別が報われる舞台だ。

いま必要なのは祝祭の延長ではなく、覚悟の家計簿である。家計の貯蓄率は薄く、金利正常化の果実を家計に回すには時間がかかる。

金融所得課税の議論は取りやすいところから取る方向に流れやすく、実体経済の価格転嫁が家計に届く前に、社会保険料や税負担の上昇が先に着地する。企業にとっても採算性の低い在庫投資や割に合わない増設は、名目売上の拡張に隠れて判断を誤らせる。

ここでこそ資本コストがもの言う。5%の壁が視界に立つだけで、多くのプロジェクトはやらない勇気を選ぶ。投資とは行う勇気であると同時に、行わない勇気でもある。

本当の地獄と本当の祝祭が交錯する

市場はしばしばショーに弱い。数字は語るが、演出は叫ぶ。演出の声が大きいとき、数字は聞こえにくくなる。だが決算は嘘をつかない。キャッシュフロー計算書は期待を現実に翻訳する唯一の辞書だ。

フリーキャッシュフローが金利の重力に負けるか勝つか。自社株買いの継続性は資金調達環境と一体で、バランスシートの質は買い手の消える瞬間に露呈する。

上場子会社の整理はよいが、親会社の資本政策が長期株主の耐性を試す。インフレに便乗した名目の増収は、割引率の上昇という鏡の前では衣装を脱がされる。

私たちができる最良の戦術はショーを観客席から観ることだ。熱狂の檻から一歩外に出て、現金という最強のオプションを握る。現金は逃げない。機会は逃げるが、機会は必ず戻る。

逆回転の瞬間にだけ開く扉がある。そこに立ち会うには、いまは耐えるしかない。ポジションを小さくし、勝ち筋以外の賭けを減らし、価格が冷え込むのを待つ。恐怖の谷間で、ようやく「安く、良い」が同時に揃う。

バフェットはそれを誰よりも理解しているからこそ、今は沈黙する。買わず、笑わず、ただ次の修羅場を待っている。

期待は必ず終わる。夢はいずれ醒める。市場が酔いから醒めた瞬間こそ、本当の地獄と本当の祝祭が交錯する。その時、評論家は掌を返し、個人投資家は狼狽し、資金の早い海外勢は静かに拾い始める。

冷却が選別を生み、選別が成長を生む。そこで初めて、改革の果実は価格ではなく価値として根づく。投資とは忍耐という名の闘いだ。恐怖に呑まれず、熱狂に踊らず、ただ本質を信じて現金を握りしめ、逆回転の瞬間を待つ者だけが最後に笑う。

バフェットは笑わない。笑うのは、市場が間違いを認め、価格が価値に赦しを乞う、その後なのだ。

文/木戸次郎 写真/Shutterstock