金利は、政策の忖度によって「見なかったこと」にされている
株価を政治の成果として誇り、外国マネーを呼び込んだと胸を張るのは自由だが、肝心なのは彼らの時間軸にある。いつ、どの価格で入り、どの価格で抜けるのか。
コーポレートガバナンス改革、PBR1倍割れ是正、資本コストの可視化、政策保有株の解消、自己株買いの常態化──どれも正しい。だが、正しいからこそ、それらはすでに価格に織り込まれてしまった。
改善の方向性が見えた瞬間に最大の超過収益が生まれるのではなく、改善が「割安さ」と同居したときにだけ、投資リターンは跳ねるのである。高いところで善い話を聞いた者が報われる市場など、歴史上存在しない。
しかも肝心の金利は、政策の忖度によって「見なかったこと」にされている。短期・長期ともに世界基準から見てなお低位とはいえ、割引率が上がれば負債評価は下がる。企業年金の積立不足が急速に解消し、年金債務の現在価値は縮む。
すなわち利上げは、企業の貸借対照表を健全化する痛みを伴わない改革として機能している。借入金利の上昇という痛みは確かにあるが、賃上げの持続性や価格決定力の回復、投資の選別を促す効果を通じて、企業経営の質をむしろ押し上げる。
利上げは賃上げの足を引っ張るどころか、その余地を生む。つまり金融の正常化とは、名目の繁栄を剥いで実力を映す鏡でしかない。
天井で売りつけ、底で拾う海外マネー
にもかかわらず、政府はその鏡を見るのが怖いのだ。だからこそ、日経平均5万円突破を外交の舞台で演出し、ニュースの見出しを借りて「変化」を前倒しで売っている。
しかし相場は宣言で上がり、現実で試される。貿易収支は資源価格と為替の二重写し、エネルギー自給の脆さは放置、成長戦略はスローガンで止まり、移民・教育・研究開発・防衛・医療介護──いずれも財源論の壁に突き当たる。
見えざる圧力が日銀の判断を鈍らせているという疑念は消えず、円安と株高の不安定なバランスは次のショックに脆い2階建ての足場に見える。
こうした中で、シンガポールや香港のヘッジファンド勢は、バークシャーの沈黙を読み解いている。沈黙とは、最大級の発信だ。彼らは理解している。儲けの源泉は期待と現実の落差にあると。
価格は期待で走り、リターンは落差で生まれる。ゆえに彼らはいつでも逃げられる態勢を保ちながら、国内勢が国策という名の安心感で買い上がるのを待つ。逃げるときはニュースを待たない。手じまいは静かで、拾いはさらに静かだ。
ベッセント財務長官は日経平均が8,000円台だった頃に日本株を買い込み大儲けした過去を示し、あのときと同じく「逆回転後に買えばいい」という暗黙のメッセージを現実で語っている。天井で売りつけ、底で拾う。海外マネーとはそういうものだ。













