米国と同盟国による対テロ戦争へ
冷戦終結後、旧ユーゴスラビアなどで民族紛争が激化した地域もあったが、いずれ終息した。ソ連が消滅した後、世界は事実上の米国一極になった。厳密に言えば、東アジアでは中国や北朝鮮が一党独裁のまま残り、ロシアも核大国としてNATOと軍事的に対峙したままではあったが、エリツィン政権下の新生ロシアの国力は見る影もなく、米国主導の〝西側〟の優位は圧倒的だった。
こうして1990年代初頭に、戦後長らく世界の最大の対立軸だった「冷戦」が終結した。ポスト冷戦は米国一極で、これで世界は平和になるかと多くの人々が考えた。
そんな1990年代、世界の安全保障環境は大きく変化した。たとえば米国では、〝共産圏〟の脅威が消えた代わりに、麻薬問題が注目された。FBIだけでなくCIAでさえも、それまで共産圏陣営に対する情報活動に携わっていた要員を、麻薬対策部門に大きく振り分けている。90年代以降、中国が経済成長とともに大きく軍備を拡張したが、まだ中国軍にはたとえば米軍に対抗するほどの力はなかった。
チェチェンや旧ユーゴ、アフガニスタンなど各地での地域紛争は続いたが、この時期、大きな戦争はなかった。ただし、水面下で燻っていた問題があった。湾岸戦争時にアラブ世界に米軍が入ったことに反発したイスラム過激派「アルカイダ」の誕生である。アルカイダの主力はアフガニスタン戦争に参戦したイスラム義勇兵たちで、彼らは90年代半ばに再びアフガニスタンに集結し、同地を押さえたイスラム勢力「タリバン」に合流した。
90年代にもうひとつ大きな動きを見せたのが北朝鮮だ。北朝鮮はかねてから隠れて核開発をしていたが、それが露呈し、国際社会との関係が緊張する。とくに1994年には北朝鮮が核不拡散条約(NPT)脱退を前年に通告したことで米国との緊張が高まった「核危機」が発生。クリントン政権が一時は制限的な対北朝鮮の軍事攻撃を検討するも、土壇場で北朝鮮の金日成政権が折れた。ただ、北朝鮮はその後もミサイル発射などを繰り返した。
2000年代も、世界の安全保障の大きな課題は、イスラム・テロと北朝鮮、それに中国の軍拡だった。北朝鮮は再び核開発を密かに進めていたことが露呈。6か国協議という場で交渉が進められたが、北朝鮮は2006年に核実験を成功させ、核保有国になった。
中国はすさまじい勢いで軍事力を増強し続け、すっかり軍事大国化した。それに、経済発展を目的にインターネットを国民に奨励すると同時に、ネットを介した自由な言論空間を警戒してネット監視を強化するシステムの構築に尽力。後のサイバー戦力に繋がるIT技術を大幅に向上させた。
こうした2000年代の〝脅威〟の中でも特に大きな動きがあったのが、イスラム・テロだ。2001年に9・11テロが発生。直後の米軍のアフガニスタン攻撃、2003年のイラク戦争をピークに、2000年代の世界の対立構造は、米国と同盟国による対テロ戦争が主軸になっていったのである。
文/黒井文太郎













