トリの泉谷しげるの前に現れた謎の四人組
1988年11月13日──。
その年の9月に昭和天皇の重体が報じられ、ニュースでは陛下の下血量が随時速報されていた時期。世間には自粛ムードが少しずつ漂い始めていたものの、横浜国立大学の学園祭は予定通り開催された。
目玉は、野外で開催されるロック・コンサート。ラインナップは、同年1月に発表したレーベル移籍第1作となるアルバム『吠えるバラッド』が高い評価を集めていた、泉谷しげる with LOSER。
ザ・ダイナマイツ〜村八分〜裸のラリーズを渡り歩いたギタリスト、山口冨士夫が新たに結成したバンド、ティアドロップス。
そして元ローザ・ルクセンブルクのどんとを中心とした新生バンド、ボ・ガンボス(BO GUMBOS)の3組だった。
最初に登場したのは、メジャーデビュー前のボ・ガンボス。原色のド派手な身なりのヴォーカルと、転がるようなピアノのカッコよさ。そして粘っこいファンキーなグルーヴで、当時高校生だった筆者も一気に心を奪われ、いつしかクラーベのリズムで手拍子を叩いて踊っていた。
彼らにとっても、この日のライヴは非常に印象深いものだったらしく、1995年にリリースされたライヴ・アルバム『ずいきの涙 BEST OF BO GUMBOS LIVE RECORDINGS』には、12曲中7曲もこの日の演奏が収録されている。
続いて登場したのは、前年に結成されたばかりのティアドロップス。ドレッドヘアで強烈なインパクトを放ちながら登場した山口冨士夫は、出てくるなり「檻の中で書いた曲」と語って、『グアテマラのインディオ』を歌い出す。
そこから70年代のストーンズを彷彿とさせるロックンロールを次々と繰り出すステージは、まさしく“寝ぼけ眼にいきなりサンシャイン”な衝撃だった。
そして最後は、泉谷しげるのはずだったが……ステージに現れたのは、土木作業員風の出で立ちに、アコースティク・ギターやウッドベースを抱えた正体不明な4人組。
そう、それが「ザ・タイマーズ」だった。後に知ることだが、この日、彼らは結成して3回目のライヴだったという。クチコミでタイマーズの噂を知った、一部の耳の早いファンが会場に集まっていた。しかし、多くの人はタイマーズの存在を知らないまま、ほとんど“事故”のような形でステージを目撃することとなった。













