ものまね業界の空席を見つけて、ものまねに魂を売れた
方針が決まると、互いにずっと人物を憑依させて会話を続ける、1000本ノックのような日々が始まった。
「コージーさんがタモリさんや島田紳助さんで話しかけて、僕はさんまさんで返す。地方の営業で東京から会場に行くまでの道のりもずっとそれ。まともにネタ合わせなんか1回もしたことないけど、そこでできたくだりがステージでのネタになっていきました。そのときに、ふと『俺、芸人っぽいことやってるかも』って思ったんです」
次第に「明石家さんまが言いそうなこと」だけでなく、自分の気持ちを明石家さんまの声に乗せてツッコんでも、笑いが生まれるようになっていく。
「それでお客さんが笑ってくれたから、ようやく自分を認められた気がします。『日本一の最低男』(『笑っていいとも!』内の人気コーナー)、あの2人のシチュエーションで、僕が普通にしゃべり出したら、タモさんがケツを触ってくる(笑)。
『何してんねん!』ってツッコむと笑いが生まれて、それがどんどん転がっていくんです。そのときに『あ、これ漫才だな』って思いました。ものまねでこういう掛け合いはなかったので、それをみんなが面白がってくれたんですよね」
同時に、元来はツッコミ芸人であった原口が、ものまね業界の空席を発見する。
「『あれ? ものまね業界ってツッコミの人いないな』って。その椅子がぽっかり空いてた。それなら、もう僕はそこに座り続けようと思って。その基盤を作り上げちゃえば、誰かが出てきても、結局、原口の真似ごとになるんじゃないかって。そこに気付けたことによって、僕、やっと魂売れたんすよ。ものまねに魂を売った男です(笑)」#2へつづく
#2「原口あきまさがテレビの“ものまね番組”に出なくなった理由」を読む
取材・文/森野広明 撮影/石垣星児