さんまさんを憑依させ続けると「どこかおかしくなってくる」

その番組こそ、1994年にスタートした『超豪華!史上最強ものまねバトル大賞』(現在は、後継番組の『ものまねグランプリ』として放送中)。ものまねに対する方向性の違いや番組プロデューサーとの確執から、フジテレビで放送されていた人気番組『ものまね王座決定戦』をやめたコロッケを筆頭に、岩本恭生、篠塚満由美に加え、司会の研ナオコらもこちらに移籍し、のちにフジのライバル番組になっていく。

「当時は、ものまね四天王(清水アキラ・ビジーフォー〈グッチ裕三・モト冬樹〉・栗田貫一・コロッケ)からコロッケさんが抜けて、ものまねブームが沈下していってる時期でした。だから、もう一度盛り上げたいと、コロッケさんと岩本恭生さんをメインに汐留(日本テレビ)で始めることになったんだと思います」

やがて原口の代名詞となる、明石家さんまのものまねもこの番組スタッフに提案されて生まれている。芸人としてはなかなか芽が出なかった原口だが、ものまね番組に出演してから人気を博すのは早かった。特に、コージー冨田扮するタモリと、原口扮する明石家さんまによる掛け合いは話題を呼んだ。

「だけど、ものまねでやっていくつもりもなく始めてしまったので、壁にぶち当たったこともあります。やっぱり、人の姿を借りて笑いを取っている――それって本当に自分の芸事なのか、これを芸と言っていいのかと、いろいろ考えてしまう時期があって。

それこそコージーさんとの掛け合いのときは、ずっとさんまさんを自分の中に降ろしているから、どこかおかしくなってくるんです。頭が痛くなって、自分も見失って。声の迷子にもなるし、本当の自分ってどんな感じなんだろう、本来のキャラって何なんだろうって、本当に葛藤の日々でした。

正直、ものまねをやりたくないな、という時期もありました」

売れっ子になるきっかけになった「明石家さんまのものまね」で自分を見失ったこともあるという
売れっ子になるきっかけになった「明石家さんまのものまね」で自分を見失ったこともあるという

そんな彼の背中を押してくれたのは、ネタを続けていくうちに得られた意外な評価だった。

「当時はしゃべりものまねってあまり評価されてなかったんです。どちらかというと歌がメインで、ものまねの見せ方としてもボケっぱなし。対して、タモリさんのボケにさんまさんがツッコむという掛け合いの形にみんな慣れていなかったから、理解してもらうのに少し時間がかかったなと思います。

ただ、僕としても一度これで世に出たからには、このまま尻すぼみに終わるのは嫌だなと思って、コージーさんとたくさん話し合いました。ものまね四天王さんがやってきた『デフォルメ』のものまねの形ではかなわない。だからこそ、僕たちは空気感で見せていったほうがいいんじゃないかって。その人たちがその場にいるようなリアリティを追求しました。

だから、見た目も特にデフォルメはせず、僕だったら、本当に入れ歯を入れるぐらいです」