持ち歌は約400曲 

――歌手生活の中でターニングポイントになった楽曲は?

やっぱり「おねてぃ」(『おねがい☆ティーチャー』)ですね。2002年にWOWOWのノンスクランブル枠で放送されたアニメなんですけど、幅広い年代の方々からすごく人気が出て。

それで、コミケで私が歌っていた主題歌の『Shooting Star』のMVをパイオニアLDC(現NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン)の音楽プロデューサーの西村(潤)さんが見てくださってメジャーデビューのお話をいただいたんです。

――メジャーデビューのきっかけはアニソンだったんですね。

そうですね。「おねてぃ」がなければたぶん今はないと思います。

独特な歌詞を書くことにも定評があるKOTOKO。2001年発表の主題歌『恋愛CHU!』は“電波ソング”の先駆けとも言われる。その後、同じくKOTOKOが手がけた『さくらんぼキッス 〜爆発だも〜ん〜』で電波ソングブームを巻き起こす。「それから2年くらいは“電波発注”ばかりでした(笑)」
独特な歌詞を書くことにも定評があるKOTOKO。2001年発表の主題歌『恋愛CHU!』は“電波ソング”の先駆けとも言われる。その後、同じくKOTOKOが手がけた『さくらんぼキッス 〜爆発だも〜ん〜』で電波ソングブームを巻き起こす。「それから2年くらいは“電波発注”ばかりでした(笑)」

――一方で、当時はその美少女ゲーム界で歌姫として君臨していたKOTOKOさん。女性シンガーとして、正直、葛藤することはなかったんですか?

全然なくて、むしろ勲章だと思ってます。自分で歌姫というのはおこがましいんですが、新人の頃から私を知ってるファンからしたら「俺たちの歌姫がメジャーデビューした」って感じで応援してもらえてすごくうれしかった。

それに当時、美少女ゲームはアングラなカルチャーでしたし、それが徐々に市民権を得るようになって、ファンとともに成長していったみたいな気持ちでいます。

――25年間歌い続けてきて、持ち歌は何曲くらいになるんでしょうか?

自分でも途中から数えてないんですが、ゲーソンに限らずですと400曲近くにはなると思います。

とくに影響を受けたアーティストはスピッツ。「メロディとのギャップだったり、誰も思いつかないようなワードがポンとでてくる草野マサムネさんの書く詞が本当に素晴らしくて、彼のような歌詞が書きたいとずっと勉強してました」
とくに影響を受けたアーティストはスピッツ。「メロディとのギャップだったり、誰も思いつかないようなワードがポンとでてくる草野マサムネさんの書く詞が本当に素晴らしくて、彼のような歌詞が書きたいとずっと勉強してました」

――400曲⁉ もはや忘れている曲もありそうですね。

でもライブをたくさんやらせてもらっていて、満遍なく歌っているので意外と思い出す機会も多いんですよ。

――その中で一番思い入れのある曲は何になりますか?

難しいですけど、デビューシングルの『覚えてていいよ』でしょうか。この曲自体はノンタイアップ曲なのですが、みんなに伝えたいと思っていたことをストレートに表現できた曲。ファンの方から「この曲に救われた」と言ってもらえることも多かったので思い入れのある曲ですね。