羽田っ子はお祭り好き

羽田の町が一年で最もにぎわうのは、羽田神社の夏祭りです。

羽田神社は本羽田三丁目、多摩(たま)川近くに位置し、その由来は約800年前の鎌倉(かまくら)時代といわれています。江戸(えど)時代、天然(とう)蔓延(まんえん)した時には、第13代将軍(しょうぐん)徳川家定(いえさだ)が病気平癒(へいゆ)祈願(きがん)のために参詣(さんけい)治癒(ちゆ)した故事から、病気が治るよう(いの)参拝(さんぱい)者も多く(おとず)れます。

また羽田神社の特色の一つが、羽田空港が氏子地域(ちいき)(ふく)まれるため、昔から航空安全を(いの)る神社として知られている点です。氏子(うじこ)とはその土地を守る氏神を信仰(しんこう)する人たちのことです。

羽田神社(PhotoAC)
羽田神社(PhotoAC)
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そのため夏祭りでは、氏子にあたる羽田空港から全日空、日本航空の客室乗務員ら数十名の職員がボランティア参加。神輿(みこし)パレードがおこなわれる弁天橋通りの給水所などで飲み物や団扇(うちわ)を配り、祭りに(はな)()えています。

町の人と観光客が最も楽しみにしている祭りのメインイベントが、7月最終日曜午後におこなわれる神輿(みこし)パレードです。羽田の神輿(みこし)は「ヨコタ」といわれる独特の(かつ)ぎ方で、神輿(みこし)を左右90度に(たお)し、大きくローリングしながら進みます。右の人が()ね上がると左の人がしゃがみ、まるで波に()れる船を()ぎ進めるかのような、漁師町羽田を思い起こさせる、勇壮(ゆうそう)(かつ)ぎ方です。

写真はイメージです(PhotoAC)
写真はイメージです(PhotoAC)

14基の町会神輿(みこし)は、海老取(えびとり)川に()かる弁天橋を(わた)った空港島の入口から出発し、弁天橋通りを西に向かって練り歩きます。祭りの日、この弁天橋の欄干(らんかん)には、漁師町だった名残で(かか)げられる(いく)つもの大漁旗が海風にはためきます。

弁天橋はまさに、あの48時間強制退去(たいきょ)の日、今の空港島内、旧羽田三町に住んでいた人たちが大慌(おおあわ)てで荷物を運び、海老取(えびとり)川の西側へと移動するために(わた)ったあの橋です。

私もこの数年、毎年夏祭りの日に(おとず)れ、空港島の(はし)っこから14基の町神輿(みこし)が順番に出発していくのを見守っています。この場所にはかつて多くの住民がいて、それぞれの()らしがあったのだという思いを()みしめながら。

空を見上げると、ピーク時には1分間に1.5機が発着する航空機の飛ぶ姿(すがた)が目に入ります。

写真はイメージです(PhotoAC)
写真はイメージです(PhotoAC)

私は思わず機上の人たちに向かって、(さけ)びたいような気持ちになります。

「ここは空港のためだけに()め立ててつくった土地じゃないんです。たった80年前まで町があって、3000人が住んでいたんだよ。どうか知ってください」と。

空の下には夏の強い日差しを()ね返して光る海。東京23区でありながら、どこかのどかな風景が広がり、(しお)の香りが鼻をくすぐるここ羽田は、今でもリゾート地の片鱗(へんりん)を残します。

神輿(みこし)(かつ)ぎ手が続々と集まり、羽田神社の神職(しんしょく)神輿(みこし)の行く道の無事を(いの)り、お(はら)いをすると、いよいよメインイベントのパレードが始まります。

14基の町神輿(みこし)はそれぞれ弁天橋通りを練り歩き、ところどころで止まると『東京音頭』などを歌います。そして神輿(みこし)役員の「それ、ヨコタでおいで、おいっちにのさん!」の()け声で、威勢(いせい)よく神輿(みこし)を左右上下にローリングさせるヨコタ(かつ)ぎが始まります。暑さと興奮(こうふん)(かつ)ぎ手はもちろん、見物客も(あせ)だくです。弁天橋通りは夕方まで老若男女(ろうにゃくなんにょ)の熱気で()()くされ、歓声(かんせい)に包まれます。