平和だからこそ祭りも暮らしも守られる
町の人が楽しみにしているこうした祭りも、平和だからこそ続けられます。
80年以上続いた平和がもし破られるようなことがあったら。祭りどころか、今のような日常生活を続けることも難しくなるでしょう。そして残念ながら今でも、世界の複数の場所では、戦争の犠牲者が後を絶ちません。
万一にも日本人がまた、戦争の当事者になってしまったら。現在のウクライナのように、昨日までIT企業の社員やデザイナーだった一市民の若者が兵士に変わり、殺したくもない「敵」を殺さなければならなくなるかもしれません。
いのちと平和な暮らしを守るためには、記憶と記録の伝承が不可欠だと私は思います。
なぜなら、人は忘れやすいからです。どんなに悲惨な出来事も、体験した人が少なくなり、実感を伴う話を聞かなくなれば、繰り返される危険があります。
国や軍の指導者の中にはいつの世も、他国の領土を侵略し、地図や国境を描き変えたがる人間がいるものです。
アメリカの歴史学者で、ピュリツァー賞(アメリカのジャーナリズム・文学・音楽分野で優れた仕事をした人に贈られる賞)を受賞したジョン・ダワーは、占領期日本を描いた著書『敗北を抱きしめて』(岩波書店)で、1900年代初頭の世界についてこう書いています。
「当時は、第一次世界大戦ですべての戦争は終わると考えられていた」
しかし、現実はどうだったでしょうか。終わるどころか、その世紀の半ばにはもっと多くの犠牲者を生んだ第二次世界大戦が起き、その後も世界のどこかで戦争がおこなわれています。
あんな戦争は絶対に繰り返したくない。実際に体験はしていない私たちですが、辛かった思いと出来事を聞き、今とこれからを生きる人たちに記憶と記録を継承していきたい。
「そのために地域の皆で、ここに歴史の証明を置いてもらえるよう、当時の区長にかけ合ったんだよ。今は空港になっているけど、この場所には俺たちの家族が、約3000人が確かに住んでいたんだと分かるように」
そう話してくれたのは、海苔問屋の五代目、横山惠一さんです。
横山さんは町会の人たちなどと話し合い、「旧三町顕彰の碑」を制作、地域の団体や企業と協力して、大田区に寄贈しました。
区はその碑を羽田旧三町があった空港跡地の一角、現在の京急線天空橋駅前に、解説版と旧三町の地図を記したタイルと共に設置しました。解説版には旧三町の成り立ちや、住民が戦後48時間強制退去にあったことなどの歴史が記されています。
横山さんは言います。
「あの戦争で何があったのか。ここで何が起こったのか。歴史を伝えるこういう証を、日本各地にきちんと残すべきだと思うよ。その意味で、証としての碑をここに建てられたことを、大田区に感謝したいです。
この場所を皆さんに預けますから、日本の玄関としてこれからもずっと守ってください。とにかく戦争は絶対にダメ。進駐軍ももう要らない。
私たちはここに過去の事実を記すので、現在と未来を平和に過ごすには何をすればいいのかを、これからのあなたたち一人ひとりが考えてください。
この碑で伝えたいのは、そういうことだね」
羽田が今、アジア一の国際空港として世界中の人を往来させている繁栄の裏には、過去のこととして歴史に埋もれつつある、2894人の住民の犠牲があります。
そのことを、そして羽田だけではなく、あの戦争で亡くなった数えきれない人たちの、遺体も名前も分からなくなった人たちの無念を忘れないでいたい。
忘れずに伝えることで、同じ間違いを繰り返さないという平和への誓いを持ち続けたい。
その思いを、できることならすべての人と共有したいのです。
文/中島早苗