24歳の井上陽水と22歳の忌野清志郎の共作
そんな二人が、1973年12月1日にリリースされた井上陽水のアルバム『氷の世界』で、『帰れない二人』と『待ちぼうけ』を一緒にソングライティングしていた。
その頃、井上陽水が住んでいたのは東京都三鷹市のアパート。お互いヒマだったので電話で「一緒に曲を作らないか」と誘ってみた。忌野清志郎はギターを持って出かけていった。
「最近はどんな曲作ってんの?」って陽水が訊くから、「指輪をはめたい」をオレが歌ってやったわけ。陽水はじっと聴いてた。「いやー、実にいい曲だね」って感心してね。
「でも、その歌詞じゃ、だめだよ。売れないと思うよ」っていうんだ。「どんなコード進行なの?」って陽水がねばるからさ、「指輪を~」のコード進行を教えてやったよ。
それでふたりでこの曲をいじくりまわしてさ。途中まで「指輪を~」と同じコード進行で、ちょっとメロディー変えてね。最後の部分エンディングを陽水が作った。なんつうか無理矢理のエンディング、それが陽水の特長なのかもね。
イントロからワンコーラスがまとまったところで、井上陽水はその場で一番の歌詞を作ってから、「二番は清志郎が作れ」と言った。
何日か経って二番を作ってさ。それを陽水に電話送りで伝えたわけ。それが「帰れない二人」なんだよね。つまり「指輪を~」のメロディーが「帰れない~」の基本になっているのさ。
『帰れない二人』は、アルバムに先駆けて発売されるシングルの候補曲に選ばれたので、さっそくレコーディングが行われた。アレンジした星勝のセンスが加えられたことで、井上陽水を筆頭に主要なスタッフたちは全員、これをA面にするつもりになったという。
ところがレコード会社のプロデューサーだった多賀英典だけは、もう一曲の候補曲だった『心もよう』を強く推して対立する。多賀は最後まで自説を押し通して、『帰れない二人』にこだわる井上陽水とスタッフたちを一人で説得した。
『心もよう』の方が日本では売れるという多賀の判断が正解であったことは、それまでの最大のヒット曲になったことで証明された。『帰れない二人』が発売されたのは1973年9月21日、シングル盤『心もよう』のB面としてであった。
『心もよう』は前作の『夢の中へ』を超えるヒットになっただけでなく、わかりやすい遠距離恋愛をテーマにしていたので、叙情的な歌を好むリスナーにまでファン層を広げることにも成功した。
しかしながら今になってこの2曲を聴き比べると、『心もよう』が昭和という時代を感じさせるのに対して、『帰れない二人』は時空を超えて輝いている、ということに気づかされる。
井上陽水の伸びやかなヴォーカルによって、忌野清志郎が書いた二番の歌詞がいつまでも深い余韻を残すのだ。
ニューミュージックの時代が到来していた中にあって、『帰れない二人』は最先端の傑作と呼ぶにふさわしい楽曲だった。
24歳の井上陽水と22歳の忌野清志郎。
ふたりの才能が正面からぶつかり合ったことによって、それまでにない新しい音楽が誕生したといえる。
そうして作られた井上陽水のアルバム『氷の世界』は、LPレコードとして日本初のミリオンセールスに到達するという快挙を成し遂げた。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP
引用
「GOTTA!忌野清志郎」(連野城太郎著/角川文庫)
「井上陽水 FILE FROM 1969」(TOKYO FM出版)