援助によって与えられた畑は報酬なしには耕さない

さらに季節は進み、乾季に入った。灼熱の太陽が農地に熱気を降り注いでは乾いた強風がその熱気を吹き払い、ほんのひとときの涼しさを私たちに提供する。そして時々気まぐれに鳥が鳴いている。そんな普通の日々が続いていた。

私たちのチームには今、首都から呼んできた灌漑農業の専門家アイザックが帯同している。今週はそのアイザックが講師を務める、灌漑の使用法に関する研修が開催された。

目の前にはいつも通り、農作業に励む住民の姿がある。ある者はこれから野菜の苗を移植するための畑に牛糞堆肥を撒き、ある者はその畝をならす。彼らは主体的に役割分担を行い、自らの畑を整えていた。

照りつける太陽を嫌うこともせず、ただただ必要なことに集中していた。

農作業に励む住民たち 写真/著者提供
農作業に励む住民たち 写真/著者提供
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アイザックと私は彼らを眺めながら、小一時間ほど雑談のような真面目な話を繰り広げた。

「僕は正直驚いている」とアイザックは言った。

「僕が今見ているのは、専門家としてここに来ることが決まった時に想像したような景色では決してない。カラモジャで灌漑農業だなんて、最初は耳を疑っていたんだ。でもいざ来てみたら、住民はいつも農場に出てきて協力して農作業に励んでいる。日雇い労働とは違って、僕たちからお金をもらえるわけでもない。これは結構不思議なことなんだ。なかなか農民グループとしては稀有だよ」

アイザックは農業普及系の会社に7年間勤めていた。ウガンダ全国を回って灌漑設備の工事や農民への灌漑研修を行ってきたベテラン技術者だ。彼の言葉は意外なものだった。

「あなたの知る農民グループとは?」と哲学的な質問をするみたいに私は尋ねた。

「彼らは自分たちの畑を耕す。でも援助によって与えられた畑は報酬なしには耕さない。そこには不思議な境界線みたいなものがあるんだ。そして援助屋は手を焼くことになる。だから決められた作業時間を設定して農作業をお願いする。1分たりとも延長は許されない。農民は時間になったら作業を切り上げ、対価を受け取って帰っていく」