穀物の収穫は違った

このトウモロコシだって何世代にもわたって種子を保存し、作付けすることができる在来種だ。来シーズンは種子を買う必要もない。わずかながらの果実から保存した平和の種をまいて、住民たちの自給食料を確保できるよう、再チャレンジしていきたい。

私はこの1年半で、感動する心を失ったのではないかという不安にかられていた。計画通り進まないプロジェクトにおいて、何度も期待しては裏切られ、背伸びしては後悔するといった経験を繰り返した。そして私の感情は、以前ほど小さな出来事で大きく振れることがなくなっていた。

貯水池が完成した時も、水が満杯になった時も、感動はするのだけれど、無事に完成してよかったという安堵が高揚感を抑えつけてしまっていた。

しかし、穀物の収穫は違った。約4ヶ月という紆余曲折のあったシーズンが終わり、畑に蒔いた種子が果実となって収穫される。この自然の循環が私にとっては革命的なことだった。

食料であれ、モノであれ、何かを1から作るというプロセスは簡単なことのように思えて、複雑な波のある航海のように激しいうねりを伴う一大イベントなのだ。

一時は危ぶまれたトウモロコシの収穫。女性たちの笑顔 書籍『荒野に果実が実るまで 新卒23歳 アフリカ駐在員の奮闘記』より
一時は危ぶまれたトウモロコシの収穫。女性たちの笑顔 書籍『荒野に果実が実るまで 新卒23歳 アフリカ駐在員の奮闘記』より

女性たちの弾けるような笑顔。喜びの歌声。私の心はプロジェクト開始以降、最も揺さぶられていた。端的に言ってそれは感動だった。私は彼女たちのおかげで感動する心を取り戻すことができた。「収穫」というごく普通の事象が、とにかく嬉しかった。