80年代には似たような類話が各地で発生

とにかく、この事故に空襲犠牲者たちの祟りを重ねるような言説は『週刊読売』『伊勢新聞』『女性自身』などの記事を経て形成されていく。

また、この情景を描いた水木しげるのイラスト「集団亡霊」も多くの人々に強烈なイメージを与えただろう。そして後藤は松谷みよ子『現代民話考5』によって、「中川原海岸水難事故にまつわる怪談は、紆余曲折を経て、ようやく完成の域に達した」と指摘する。

「松谷のこの話によって、事故にまつわる因縁、そして現場にまつわる『呪われた物語』が固定化され、現在も流布している」

本書の論点で述べるなら、これはまさしく戦争にまつわる学校の怪談であった。

多くの虚偽や誇張により形成されたにせよ、ともかく空襲犠牲者の祟りといった言説が世間に支持されてしまったのは確かだ。防空頭巾をかぶり、もんぺを穿いた女性たちが、海の底から足をひっぱりにきたという情景と語りは、大きな訴求力を持った。

第二次世界大戦での空襲の様子(写真/Shutterstock)
第二次世界大戦での空襲の様子(写真/Shutterstock)

その影響からか、80年代には似たような類話が各地で発生する。

例えば、海やプールで泳いでいた若者が、不自然な形で溺れ死んでしまう。その直前に撮影された写真には、海から無数の手が伸びて、彼の身体を掴む様子が写っていた……という話。

命が助かる場合であれば、海から伸びる手を肉眼で見る、体験者の足首にくっきりと手形が残っているなど様々なパターンが語られる。1991年放送の関西テレビ『恐怖の百物語』の書籍版1~3巻には、同じような怪談が各巻1話ずつ掲載されている。80年代末までに、類話が怪談として完成し、若者たちに広く流布していたのだろう。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
写真はイメージです(写真/Shutterstock)

また稲川淳二の怪談「東京大空襲」は、防火用水のプールに、大勢の空襲犠牲者たちの霊が現れる話だ。

水中から手が伸びて溺死させようとする話は、昭和後期から平成初期にかけての典型的怪談として巷間に広まっていた。手の主が空襲の犠牲者たちだと直接に語られずとも、そのイメージの大元には戦争の影があったはずだ。