理科が不必要に見えるのは、科学者の功績?

また、理科への関心の薄さによって科学リテラシーが低くなると、感情ベースの対立が増えるとも指摘する。

「“信じるか、信じないか”という議論では、いつまでも平行線のまま。ですが、理科の知識や論理的思考があれば、共通の土台で話し合いができる。実際、社会を発展させてきた科学技術は、ほとんどがそうした建設的な議論から生まれています。

理科教育は単なる暗記ではなく、“なぜ?”を問い、検証し、論理的に考えるプロセスそのものが重要にもなり、その思考法は、科学だけでなく、人と議論したり、何かを選択したりするときにも大きな力になるのです」

現代のキレイな理科室
現代のキレイな理科室

つまり、理科を学ぶことは、誰かと意見が違ったときにも冷静に話せる“思考の道具”を手に入れるということだ。

その一方でレン氏は、理科が「不要」に見える現代の状況そのものが、ある意味では科学の成功の証でもあるとも語る。

「これを読んでいる方がスマホやPCを持っているように、現代社会では科学技術の恩恵を受けていない人はいません。にもかかわらず、理科が不要と考える人が多いのは、ある意味“理解しなくても困らない”という社会にまで押し上げた科学者たちの成果でもあると言えるでしょう。

しかし、理科という根底を理解していない人が増えた場合は、未来の技術革新も生まれません。何をするのにも科学技術を使う社会になっているからこそ、理科に支えられて仕事をする人の増加や理科そのものの重要性を認識する必要があります。そして、子どもたちの世代にもわかりやすく、かつ面白く理科を伝えることが大人の責任だと考えています」

日本の子どもたちが理科の重要性を実感できていないという今回の調査結果について、レン氏は「単に理科が難しいと感じていたり、学校教育全般に将来への希望が持てていない可能性もある」と指摘したうえで、「“なぜ?”を問う米国の探究型学習のような姿勢が必要ではないか」と話す。

日本では、受験のための知識偏重の授業によって、「理科=暗記科目」「社会と結びつかない科目」と見なされてしまっている可能性がある。

だからこそ、理科を基盤とした科学技術の改革に国全体で取り組む姿勢や、研究者の発信に触れる機会がもっと増えれば、子どもたちが理科を“自分ごと”としてとらえ、「社会に必要な科目」と感じられるようになるはずだ。

取材・文/集英社オンライン編集部