私たちの目の前の状況は変えられる!

佐藤 それにしても、『家父長制の起源』の解説で上野さんが紹介してくださった「栄養人類学」のお話は面白いですね。ジェンダーの視点を持って考古学を研究する人が出てきた結果、何がわかったか。これまでの様々な発見が、私たちが生きる現代の価値観のバイアスに左右されていたと判明していく。つまり、私たちは「見たいものを見ていた」ということなんですよね。

従来の、「石器時代にはハンターは男性だった」「女性は火を焚いて子守りをして待っていた」みたいな話も、実はジェンダーの視点を持ち込むと怪しくなってくる。いやいや、ちゃんと女性のハンターもいたし、女性たちは小動物を狩るなど、重要な役割を果たしていたんだよ、と。

あるいは、壁画を描いた人は当然男性だと思われていたけれども、実は壁画アーティストに当たるような人にも女性が含まれていた、とか。そういうことが次々と明らかになっている。その最新の成果が盛り込まれているというのも『家父長制の起源』の魅力だと思いました。

上野 いま、考古学は技術的にものすごく進化しています。年代測定法も、炭素同位法という昔のやり方だけではなく、DNA鑑定もできるようになって、埋葬者の性別だけでなく親族関係もわかるようになった。その成果で古代史がすごく変わってきました。そういうことを書いた上野の解説、力が入っています。是非、『家父長制の起源』を買って読んでみてください(笑)。

『家父長制の起源』の本文では、当然ながら日本のことはあまり扱っていないので、私の解説の中では日本古代史の考古学的な発見についていくつか言及してあります。いま、古代史は日本史の中でもすごくエキサイティングな分野です。テクノロジーが発達して、新しい発見が次々と生まれているからです。

首長として埋葬されていた人が女性だったとか、そこに一緒に埋葬されている人が一族なのか、親子関係があるかどうか、というようなことが全て同定されるようになっている。今までの常識を覆すような証拠がどんどん出てきているわけです。

でも、佐藤さんがおっしゃった通り、私たちがいま生きている社会のジェンダー二元論をそのまま常識として投影した、「古代も同じだっただろう」というような乱暴な解釈が横行している。事実を突きつけられても、バイアスに凝り固まっていてなかなか認められないのが学者だ、ということも書いてありましたね。

佐藤 そうなんです。そこがすごく難しくもあり、興味深いところだとも思いました。同時に、それに抵抗する側、私たちの側が陥りやすい罠についてもきちんと言及されています。

たとえば、上野さんが紹介してくださったチャタル・ヒュユクの女性像。

チャタル・ヒュユクの座った女性(Hugh Honour and John Fleming, A World History of Art, 2005: illustration, fig. 1.16)
チャタル・ヒュユクの座った女性(Hugh Honour and John Fleming, A World History of Art, 2005: illustration, fig. 1.16)
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こうした出土品から、下手をすると「昔は母権社会だったんだ」という主張が生まれてしまう。
かつては女神が非常に力を持っていて、女性が大切にされていた「母権社会」だったという、いわゆる“母権起源説”です。その社会が家父長制の到来によってひっくり返されてしまったんだ、という敗北の物語につながっていくわけですよね。

ところが、そうした発想の根底では、現代のことを不満に思っている私たちの目を通して、「過去を美化する」という単純化が働いてしまっている。これもまた陥りやすい罠だということが指摘されていて、とても優れた点だなと思いました。

と同時に、著者のサイニーは、だからといってチャタル・ヒュユクの母権起源説を提唱したマリヤ・ギンブタスという考古学者を、過剰に批判しすぎることも避けています。

確かに話を単純化してしまったところがあるかもしれないけれど、それはジェンダーの視点が入る前の男性の考古学者たちが「見たいものを見てきた」のと同程度の単純化です。おとぎ話をつくり上げたギンブタスだけが学者として劣っている、という一面的な評価の仕方はしていない。こうした姿勢にも好感が持てました。

上野 母権制起源説というのも、もうひとつの危うい「神話」ですからね。もし人類の起源が母権制だったとしたら、その母権制が家父長制に敗北したことになる。そうなると、今度は敗北が決定論になってしまう。女性の敗北は歴史的に運命づけられていたのだ、という話になりますから。

最後に、『家父長制の起源』から文章をひとつ読み上げてみようと思います。

家父長制は今も常につくり変えられていて、時には以前よりも大きな力をもつこともある。
(『家父長制の起源』350ページ)

近代になって、家父長制は明らかに強化されました。家父長制は時代によって姿を変え、どんどん新しい姿を取っていきます。

でも裏を返せば、「歴史のどこかに始まりのあるものは、必ず歴史のどこかに終わりがある」ということです。そう考えると、今のような真っ暗な状況も永遠に続くわけじゃないって思えるからよいですよね。

結局、家父長制を止められるかどうかは私たちにかかっている。目の前の状況は変えることができるんだ。そういう希望を与えてくれる本ではないでしょうか。

支配者になったのか
アンジェラ・サイニー (著), 道本 美穂 (翻訳)
家父長制の起源 男たちはいかにして支配者になったのか
2024年10月25日発売
2,530円(税込)
四六判/416ページ
ISBN: 978-4-08-737006-5

《各界から絶賛の声、多数!》

家父長制は普遍でも不変でもない。
歴史のなかに起源のあるものには、必ず終わりがある。
先史時代から現代まで、最新の知見にもとづいた挑戦の書。
――上野千鶴子氏 (社会学者)

男と女の「当たり前」を疑うことから始まった太古への旅。
あなたの思い込みは根底からくつがえる。
――斎藤美奈子氏 (文芸評論家)

家父長制といえば、 “行き詰まり”か“解放”かという大きな物語で語られがちだ。
しかし、本書は極論に流されることなく、多様な“抵抗”のありかたを
丹念に見ていく誠実な態度で貫かれている。
――小川公代氏 (英文学者)

人類史を支配ありきで語るのはもうやめよう。
歴史的想像力としての女性解放。
――栗原康氏 (政治学者)

《内容紹介》
男はどうして偉そうなのか。
なぜ男性ばかりが社会的地位を独占しているのか。
男が女性を支配する「家父長制」は、人類の始まりから続く不可避なものなのか。

これらの問いに答えるべく、著者は歴史をひもとき、世界各地を訪ねながら、さまざまな家父長制なき社会を掘り下げていく。
丹念な取材によって見えてきたものとは……。
抑圧の真の根源を探りながら、未来の変革と希望へと読者を誘う話題作。

《世界各国で話題沸騰》

WATERSTONES BOOK OF THE YEAR 2023 政治部門受賞作
2023年度オーウェル賞最終候補作

明晰な知性によって、家父長制の概念と歴史を解き明かした、
息をのむほど印象的で刺激的な本だ。
――フィナンシャル・タイムズ

希望に満ちた本である。なぜかといえば、より平等な社会が可能であることを示し、
実際に平等な社会が繁栄していることを教えてくれるからだ。
歴史的にも、現在でも、そしてあらゆる場所で。
――ガーディアン

サイニーは、この議論にきらめく知性を持ち込んでいる。
興味深い情報のかけらを掘り起こし、それらを単純化しすぎずに、
大きな全体像にまとめ上げるのが非常にうまい。
――オブザーバー

amazon 楽天ブックス セブンネット 紀伊國屋書店 ヨドバシ・ドット・コム Honya Club HMV&BOOKS e-hon
〈家父長制〉は無敵じゃない――日常からさぐるフェミニストの国際政治
シンシア・エンロー (著), 佐藤 文香 (翻訳)
〈家父長制〉は無敵じゃない――日常からさぐるフェミニストの国際政治
2020/10/17
3,190円(税込)
246ページ
ISBN: 978-4000614252
家父長制とは、日常的な性差別や女性蔑視を支える考え方と関係性のネットワーク。トランプなど極端なタイプに目を奪われてはならない。日々の「取るに足りない」習慣こそが男性中心主義を強化し、ひいては軍事主義を支えているのだ。シリア内戦から軍事ツーリズム、兵士の妻からカフェテリアの女性まで、幅広い話題で家父長制の手強さともろさを論じる。率直な語りが共感を呼ぶ。
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