真の学歴厨が経験する「スーパー学歴タイム」
私は一浪で再度京大法学部を、と考えていたが、浪人の春、私はちょうど最終回が終わったばかりの、親が録画していた唐沢版『白い巨塔』を観た。そこで激しい法廷闘争を目の当たりにした私は、物語を楽しむと同時に「あ、俺、弁護士無理かな」と思った。
高校時代の私は、京大法学部に入って司法試験を受け、弁護士になる気でいた。私はマジで手のつけられないアホだったので、京大に受かる力があれば司法試験には楽に受かるだろうと考えていた。司法試験なんて東大・京大以下の大学からもバンバン受かるし、京大に受かって司法試験に落ちる奴は勉強の仕方がヌルいだけだと思っていたのだ。
だが、私は自分が本気で弁護士になりたいと思っていないということを、『白い巨塔』の上川隆也と及川光博に気づかされた。よくよく考えてみれば京大法学部を目指していたのは「京大文系で一番偏差値が高くてカッコいいから」であり(厳密には年によって違うのだが)、そこから目指せるカッコいい職業として弁護士をなんとなく想定していただけで、弁護士が具体的にどんな風に働いているかなど、インターネットで簡単にわかるレベルのことすら調べていなかった。
私は京大にだけは絶対に合格しなければ気が済まなかったが、はっきり言うと、その先の人生はどうでもよくなっていたのである。
これは真面目に聞いてほしいのだが、真の学歴厨は「学歴さえ高ければあとはどうでもいい」という謎の期間、「スーパー学歴タイム」を経験する。
内山が偉いのは、彼が単なる学歴厨なのではなく、将来の目的に向けたステップとして東大を捉えていたところである(なお、彼が現在何の仕事に就いているのかは、身バレ防止のため伏せさせていただきたい)。
他の医学部を志望していた友人はもちろん医者を目指していたし、中には絶対公認会計士になると決めて京大経済学部を目指していた友人もいた。
私は当時自分のことを彼らと横並びで考えていたのだが、今思えばその姿勢において決定的な差があった。そして、その差はそのまま現在の社会的地位や年収の差に直結している。
私はまだ半ば「スーパー学歴タイム」の最中にいるのか、そのへんのことがまったく気にならないのだが、かつての仲間とそうした差がついたことが気になって同窓会などに出づらいという人もいるだろう。とにかく結構な割合の人が後悔する状態になっていることは間違いない。
学歴以外のことが考えられなくなっている受験生のみなさんは、学歴のその先があるということを自分に言い聞かせ、少しでも将来をイメージする時間を作っておくべきだろう。
そして受験生の子供を持つ親御さんは、自分が社会でどんな風に生きているか、そして学校を出た後の世界はどんなものなのか、具体的にイメージしやすくなるような話を時々でいいからしてあげると、子供の側も視野を広げやすくなるだろう。
私のような重症の学歴厨は「大学を手段として扱わず、つねに目的自体として扱え」という謎の格率に従って行動しているため、なかなかまともに話を聞かないかもしれないが、当時「うっせぇうっせぇ」と思いながら聞き流していた話でも不思議とまだ思い出すことができる。
私個人は大人の忠告を素直に聞き入れることができず、客観的には手遅れ&手遅れの人生を送っているわけだが、子供の反応にかかわらず、ただただ大学以後の世界の話をしてみるということは、きっと無意味ではないはずである。
文/佐川恭一 サムネイル/PhotoACより