予想外の低得点で命のかかった試験に突撃
彼が何点だったのかも3千回ぐらい聞いたのに忘れたが、とにかく彼にとっては予想外の低得点で、東大文一現役合格に黄信号が灯ったようだった。
私もまたセンター大爆死だったので他人の点数どころではなかったのだが、内山はとにかく「東大文一か、文二か」という選択に悩みまくっていた。
そして「東大経済学部出身の成功者」を探しまくり始めた。別にそんな人はたくさんいるだろうと私は思ったのだが、彼の考える方向性に合った成功者というのはなかなか見つからなかったらしく、唯一彼が「発見した!」と私に伝えてきたのは「亀井静香」だった。
亀井静香は東大文一なのだが進振り(東大独自の学科選択制度)で経済学部を選び、その後わずかな民間勤めを経て、きわめて優秀な成績で官僚になっていたようだ。
内山はこの「亀井モデル」を目指す前提で東大文二に出願するか、やはり当初の予定通り文一に突撃するのかということでかなり頭を悩ませており、京大志望者など眼中になかったはずの彼が、センター爆死後の私に「お前は法学部にするのか、経済か文にするのか?」と聞いてきた。
さんざん内山の気合いがヤバかったという話をしてきてなんだが、私も特進コースで上位を争うキマり具合になっていたので、センターでボーダーの点数を30点以上下回っていたにもかかわらず「ハァ? 法学部に決まってるやろ」と即答した。
私は私で『私の京大合格作戦』という本を読みまくり、E判定やセンター爆死からの逆転合格の例を集めていたのである(この経験は小説誌「ジャーロ」に掲載された『京大生黒ギャル交際事件』に活かされている。小説家のもっともすばらしいところは、人生において活かせない経験がなくなるということである)。
私はもともと練習で同志社法を受ける気だったが、京大二次以外のことを考える時間を一秒でも減らすために受けるのをやめた。まさに京大 OR DIEの状況に自分(と親)を追い込んだのだ。
私に影響されたということはないだろうが、内山は最終的に東大文一への突撃を決めた。そして命のかかった試験に挑み、見事に現役合格を勝ち取ったのである(ちなみに内山はこの時の経験を「東大受験記」という3万字ほどの文章にまとめている。もしネットで売れば大ヒット間違いなしの名文なのだが、今のところ販売予定はないそうである)。
一方、背水の陣で京大法学部に挑んだ私の方は、アッサリ落ちた。成績開示の結果、センターで離された30点差は、自分で得意だと思っていた二次でもほとんど詰まっていなかった。単純に実力が足りなかったのだ。