森田童子の独特なレコーディング方法
実際に取材の日に会ってみて、予想はすべて的中していることが分かった。ミラー加工された大きなサングラスの森田童子は、ほとんど自ら言葉を発しなかったし、喜怒哀楽といった表情も見せることもなかった。
当然だと思った。言葉で話せないから、彼女は歌を作り、唄っている。だが、取材そのものを嫌がっているようでなかったのは救いだった。
原盤制作をしていたJ&Kのディレクター・麻生静子氏と、ポリドールレコードの宣伝プロデューサーだった市川義夫氏が、わかる範囲で私の質問に答えてくれた。
そんなやり取りの中で、無理に話を聞き出そうとは思わなかったのがよかったのか、高校時代に同じような体験をしたことが分かったせいか、どこか通じ合えているような感覚になった。
そのうちに彼女の方から、時おり質問に答えてくれていた。そうした数少ない発言の中から、私はこんな断片的なフレーズをメモに残した。
「言葉の確かさから出発した音楽」
「何よりも言葉が大切」
「私のあまっちょろい言葉を打ち消す音が欲しかった」
「(オートバイの)生のブルンブルンという音が、私にとって必要だった」
彼女を見出した麻生氏が説明してくれた話では、普通とは違うレコーディングの方法が興味深かった。
当時のレコーディングでは、シンガー・ソングライターの場合、まずはミュージシャンたちと一緒にスタジオでセッションし、バックの音を録音する。それから必要な楽器をダビングして、歌を仕上げていくのが標準的であった。
しかし、極端に人見知りする森田童子の場合、最初に一人だけで歌とギターを録音しておいたテープに、ミュージシャンたちがいろいろな音をかぶせて仕上げていったという。
それでも「何よりも言葉が大切」なので、歌詞がよく伝わらない箇所や聞き取りにくいところでは、ベースの音を絞り、時にはミュートした。シングルに続いて発売したアルバム『GOOD BYE』で、ドラムの音を全く使用していないのも、そうした理由からだった。
その代わりに楽器でなく、効果音や擬音が随所に使われることになったところが、演劇的な発想だった。
アルバムのA面では、1曲目の『早春にて』で、歌の終わりに耳を突くようなジェット機の撃音が、『地平線』では強烈な雷が入っている。また『雨のクロール』は、レベルが最初から低く録音されていて、後半だけが普通のレベルになる。
その分だけ音像が近づいて、強いイメージを与えるようにしたのだという。それらのアイデアや希望はいずれも、森田童子の意向によるものだった。
アルバムの全体から受けるのは強いセンチメンタリズムで、歌詞と歌声による悲しさや寂しさ、いたたまれなさと孤独感が、音楽によって強調されている。