A代表躍進の2018年と鳥海自身の挑戦

17年以降、若手が台頭していくなかで日本代表は東京2020パラリンピックに向けて着実に力をつけていった。U23世界選手権の2カ月後に行われた国際強化試合「三菱電機ワールドチャレンジカップ(MWCC)」では古澤たちが日本代表デビュー。その後日本の武器となったプレスディフェンスで海外勢を苦しめた。

18年世界選手権では当時ヨーロッパ王者だったトルコを撃破し、IWBF(国際車いすバスケットボール連盟)からは“大会最大の番狂わせ”と衝撃のニュースとして報じられた。さらに決勝トーナメントでは1回戦で敗れはしたものの、その2年前のリオパラリンピックで銀メダルだったスペインと互角に渡り合い、2点差での惜敗と最後まで強豪を苦しめた。

そして翌19年アジアオセアニアチャンピオンシップでは、予選リーグでイラン、オーストラリアを立て続けに破る快挙を成し遂げた。いずれも最終順位は納得のいくものではなかったが、もはや海外勢にとって日本は簡単に勝てる相手ではなくなっていたことは確かだった。

[2018年世界選手権 トルコ戦] ヨーロッパ王者と撃破という快挙に沸く男子日本代表。(写真:X-1)
[2018年世界選手権 トルコ戦] ヨーロッパ王者と撃破という快挙に沸く男子日本代表。(写真:X-1)

そんななか、鳥海自身もパフォーマンスに磨きをかけようと模索が続いていた。彼のプレーが見た目からも変わり始めたのは、2018年のことだ。シュートの確率が上がったことに加えて、それまで多かった転倒のシーンが激減していた。

その理由の一つは、車いすを変えたことにあった。聞けば、海外勢のパワーに負けないコンタクトの強さを求めて、フィジカルの強化とともに、車いすの重量を上げたのだという。

「自分は足の重さがない分、相手と接触するなかでどうしても振動を受けてしまって体が安定しない。それで車いすメーカーさんとも話し合って、重さがあれば体のバランスもとりやすく、その分、周りをしっかりと見てプレーすることができるんじゃないかという考えに至りました」

しかし、もともとスピードやクイックネスが持ち味である鳥海にとって、それはリスクを伴う大きな挑戦でもあった。そのため同年6月に国内で行われたMWCCでは、まだ乗る選択ができなかったという。ようやく実戦で使い始めたのは、MWCCの2週間後に行われたイギリス遠征だった。

「正直、前の車いすよりも漕ぎ出しのワンプッシュ目は少し遅くなったと思いますし、それまでの自分の動きが失われる怖さがあって、MWCCではチャレンジできませんでした。ただだからといって軽さに逃げて前の車いすに戻すという選択肢はなかったので、乗りこなせるようにフィジカルの強化に努めてきました」

イギリス遠征後、さらに重量を上げたという鳥海の車いすは、1年前とは700グラムも重くなっていた。だが、その挑戦は吉と出た。リオパラリンピックではセカンドラインナップの一人だった鳥海だが、18年の世界選手権の時にはもう中心メンバーの一人となりつつあった。

なかでもスペイン戦で残した戦績は、そのことを象徴していた。世界随一の高さを持つ相手に対し、鳥海は11得点をマーク。それは藤本怜央とはタイ、そしてチーム最多の香西宏昭の12得点に次ぐという、それまで“ダブルエース”として日本をけん引してきた2人の先輩たちに並ぶ数字だった。

そして、その3人のみが2ケタのアテンプトを数えたなか、フィールドゴール成功率は2人を凌ぐ50%を誇った。さらにリバウンドはハイポインター陣を凌ぎ、チーム最多の8を数えた。

[2018年世界選手権 スペイン戦] 世界随一の高さを持つスペイン相手にもインサイドでの強さを発揮した。(写真:X-1)
[2018年世界選手権 スペイン戦] 世界随一の高さを持つスペイン相手にもインサイドでの強さを発揮した。(写真:X-1)

無論、すでに世界に名を知られていた藤本や香西とでは、相手のマークの厳しさも違っていただろう。ただ自らも「ディフェンスを買われて代表入りした」と語っているように、守備の要だった鳥海が得点源にもなったことで、“日本に鳥海あり”と印象付けたことは間違いなかった。