デニーズで受け取った電話「宇多田さんとレコーディングしませんか」
──その後に、デザイン会社で働きながら、自主レーベルで裏方として楽曲制作もするという……怒涛の生活を送っているときに宇多田ヒカルさんから「ともだち with 小袋成彬」のオファーが来たんですよね。
20代前半の頃は、CMの楽曲制作にアーティストのコーラスや編曲とか、いろいろやりました。
ある日、南平台でレコーディングした後にデニーズで食事をしていたら、制作ディレクターの方から「宇多田さんと一緒にレコーディングしませんか」という連絡が来たんです。急だったから驚きましたけれど、裏方の仕事に疑問を感じていた時期だったので「次はここか」みたいな気持ちでした。
──疑問?
リリースのサイクルが決まっていて、追われるように楽曲を作る慣習があるような感覚がありました。自分が付き合いのある会社ではないのですが、レーベルと仲違いしたこともありました。
──いいタイミングでチャンスが巡ってきたわけですが、ソニーからメジャーデビューした直後に渡英してますよね。それは「やる気を出すため」だったりしますか?
絶対そうですね。デビューアルバム出して、ツアーも終わって「この先に何があるんだろう?」とモチベーションが下がっていた。
宇多田さんみたいなアーティストと一緒に音楽を作れたら、日本でそれ以上に驚きに満ちた仕事ってあるんだろうか……とも思ってしまって。別の何かを吸収しないと、音楽を作り続けられないと思いました。
──エッセイでは移住の理由として「(日本の)現状に諦めがついた」とも書かれています。日本で暮らす難しさも感じていたのでしょうか?
個別具体的なきっかけはないものの、監視されてる感覚がずっとありました。
テレビをつけると、どの局もほぼ同じニュースを、同じようなトーンで放送しているし、電車の中ではみんな黙ってスマホを見てる。混雑具合によりますけど、ロンドンだと電車内でスピーカー置いて音楽を流す人が普通にいますからね。そういう自由なふるまいが日本では白い目で見られ、基本的に許されない。
日本人は世間の目を過剰に気にし、日本の社会には恥ずかしいことをしてはならない同調圧力や美学みたいなものがあって、そのバイブスが自分には合わない。恥なんて、かかないと何もできないじゃないですか。
海外で暮らしていると、あまりにのびのびしているので「どうして自分は今まで日本で暮らしていたんだろう?」と思うこともありました。ホームシックになったことはありません。俺は孤独よりも世界が広がっていく感覚を楽しんでいたんだと思います。
日本では出せないようなデカい音量で音楽を聴いて、ビールを飲んで、耳が肥えていく。20代の最後をそうやってすごせたので、ロンドンへの移住は最良の選択でした。
※取材は3月23日に発表されたさいたま市長選挙への立候補前に行われた。
取材・文/嘉島唯 撮影/マスダレンゾ