「娘の光は、天才なのよ」
1970年に『圭子の夢は夜ひらく』でブレイクし、18歳にして時代の寵児となった藤圭子。27歳で歌手を引退することを決めると、こんな率直なコメントを残して1979年にニューヨークへ渡った。
「歌手は一流でなければ嫌。私は自分を取り戻すために、英語の勉強から始めます」
※引用元・小西良太郎著「女たちの流行歌(はやりうた)」産経新聞社
やがてニューヨークに住む日本人の宇多田照實と出会い、結婚して長女の光が誕生したのは1983年1月19日のことだ。
娘に「光」と名付けた藤圭子は、その時にこんな詩を書いた。
あなたが生まれたその日に 天使たちが集まって
そして決めたのよ 夢を実現させようって
幼いころからシンガーとして期待されていた光は、父と母によるファミリー・ユニットの「U3」で活動し、1993年にはポニーキャニオンからアルバム『STAR』を発売した。
作家の大下英治は1994年の年明け早々、藤圭子と会った時にこんな言葉を聞かされたという。
「娘の光は、天才なのよ。いま、ニューヨークで歌の勉強をしているから、見ていてごらん。あと何年かすると、あっと驚くようなデビューを見せるからね」
※引用元・大下英治著「悲しき歌姫 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾」イースト・プレス
それから3年後。天才と嘱望された光は、ファミリー・ユニット「Cubic U」のヴォーカルとして、インディーズながらアメリカでデビュー。シングルに選ばれたのはカーペンターズで有名な『Close To You(遙かなる影)』で、バート・バカラックとハル・デイヴィッドが作ったスタンダード・ソングだった。
そこには両親が目指していた方向性が感じ取れる。そして娘を天才歌手だと信じて疑わなかった藤圭子は宣言した引退を撤回し、時折日本に戻って歌い、収入を得ることでアメリカにおける音楽制作を継続した。