1980年代で唯一マジメだった選手は…?

――愛甲さんも横浜高校時代は甲子園のアイドル。プロになっても相当モテたのでは?

まぁ、プロ野球選手だから地方でそれなりに遊んだは遊んだよね。

当時は携帯がなくて、連絡を取り合おうとしたら家の電話か、遠征先だと女の子がフロントに預けた手紙を読むしかなかった。

それで、これも大阪遠征での話なんだけど、宿泊先のフロントで部屋の鍵をもらおうとしたら、大阪の女と金沢の女からそれぞれ「◯◯ホテルに部屋を取ったから遊びにきて」ってメッセージがあって……。同じホテルじゃねえかって。

昭和プロ野球界の信じられないような話が次々と…
昭和プロ野球界の信じられないような話が次々と…

――修羅場じゃないですか!

3連戦のある3日間、2つの部屋を行き来するしかないよね。しかも、同じ日に大阪の女の部屋で過ごしたあとに「もう門限だから部屋戻るわ」って言って、金沢の女のほうに行くって感じで。

――夜のダブルヘッダー(笑)。逆に1980年代で遊ばない野球選手っていたんですか?

それは村田兆治さんだね。堅物で野球のことしか知らないから、飲みや食事には行ってたけど女関係は聞いたことないね。だってそもそもモテないもん。全部野球の話になっちゃうから(笑)。

51歳にして142kmのストレートを投げた村田兆治氏 書籍『哀愁のストレート』(青春出版社)
51歳にして142kmのストレートを投げた村田兆治氏 書籍『哀愁のストレート』(青春出版社)

――ストイックですね。

ただ麻雀は大好き。投げた日は興奮してなかなか寝れないから、遠征のときは必ず朝まで麻雀をやる。それに付き合うのがトレーナーとコーチ。

でも村田さんってまっすぐな人だから、麻雀があんまり上手くなくって。俺がたまたま見てたときなんて、下家でアガった池さんにイライラした村田さんが麻雀牌を掴んだ手で思いっきり殴ってさ。次の局でまた池さんがアガったら今度は牌を投げつけて。みんなとんでもなく自分勝手で、やばい世界に入っちゃったって思ったね。

――昭和プロ野球界、すごいです!

#2へつづく

「村田(兆治)さんは女遊びの話なんて聞いたことなかったな」という愛甲氏
「村田(兆治)さんは女遊びの話なんて聞いたことなかったな」という愛甲氏
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愛甲猛●1962年8月15日生まれ。神奈川県逗子市出身の元プロ野球選手。左投左打。1980年には夏の甲子園でエースとして優勝を果たす。同年ロッテオリオンズに入団、1995年オフに中日ドラゴンズへ無償トレード移籍。2000年に引退後は野球解説者、俳優として活動。現在、YouTubeチャンネル『愛甲猛の野良犬チャンネル』を運営中。

取材・文/武松佑季 撮影/村上庄吾