「このままでは帰れない」として30日、総連前を訪れた  

結局、29日午前3時ごろになって当局側は「誓約書への署名は求めない」と伝え、6人は空港から出ることができたという。

この出来事の影響で、29、30両日に総連前で計画した抗議行動を中止すると一行は一時発表したが、「このままでは帰れない」(崔代表)として30日の午後、総連前を訪れた。

崔代表の父・崔元模(チェ・ウォンモ)氏は、朝鮮戦争(1950~53年)当時、韓国側の非正規ゲリラ部隊の隊員だった。朝鮮半島西側にある黄海の島々の間を、ゲリラ兵や武器、食料などを運ぶ工作船の船長を務めていた。

休戦後は黄海で漁船を操業していたが、1967年6月に海上で拉致され、北朝鮮は解放しなかった。韓国情報機関当局者は「入手した情報では、崔元模氏は1972年12月に北当局によって処刑されたとみられる」と話す。

1月30日、インタビューに答える崔成龍代表(撮影/集英社オンライン)
1月30日、インタビューに答える崔成龍代表(撮影/集英社オンライン)

韓国統一部当局者は、「これまでの集計では、北朝鮮は1953年7月の朝鮮戦争休戦協定締結後、少なくとも3835人の韓国人を拉致していますが、その97%は海上で拿捕した漁船員で、拉致した人のうち3310人はその後、韓国へ帰しています。労働力や対南工作員として養成するため525人は抑留したまま返さなかったのですが、このうちAさんを含む9人が、脱北に成功し韓国へ戻ってきました。

実は、北当局が拉致被害者を殺害したことはほとんどないとみられるのですが、崔元模氏は非常にまれな例外とみられるのです」と話す。

その理由について息子の崔成龍代表は「朝鮮戦争中のゲリラ活動が、拉致された後に発覚し処刑されたとの情報があるのです。私は母から『必ずアボジ(父)の遺骨を探し出せ』と言われたことを機に、父や他の被害者の情報収集を始めました」と話す。

崔代表は情報を基に北朝鮮に脱北ブローカーを送り、帰還できなかった拉致被害者を中国に脱出させることに次々と成功。今回一緒に来日したAさんもその一人だ。

拉北者家族会が朝鮮総連に投げ入れようとして準備したビラ(撮影/集英社オンライン)
 
拉北者家族会が朝鮮総連に投げ入れようとして準備したビラ(撮影/集英社オンライン)
 

さらに崔代表は2006年に、横田めぐみさんが北朝鮮内で結婚した相手が1978年に韓国西部の海岸で拉致された当時高校生の金英男氏であるとの情報を確認したと公表し、北朝鮮当局はこれを追認している。