「勝ち取った民主主義」という韓国人の認識と合致せず

民主主義に対して多くの韓国人が持つ意識を考えると、12月3日22時23分に「緊急対国民談話」として明らかにした尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の行動は、まったく理解に苦しむものだ。

墓穴を掘るようなもので、尹錫悦氏は政治的な判断ミスをしたといってよい。次が談話の一部だ。

尹錫悦大統領 写真/shutterstock
尹錫悦大統領 写真/shutterstock

次が談話の一部だ。

私は北朝鮮共産勢力の脅威から自由大韓民国を守護し、韓国国民の自由と幸福を略奪している破廉痴な従北反国家勢力を一挙に拾い、自由憲政秩序を守るために非常戒厳を宣言します。

私はこの非常戒厳を通して、亡国に陥っている自由大韓民国を再建して守ります。

そのために、私はこれまでに悪質な行動をした亡国の元凶反国家勢力を必ず剔抉します。これは、体制転覆を狙う反国家勢力の蠢動(しゅんどう)から国民の自由と安全、そして国家持続可能性を保障し、未来世代にきちんとした国を譲るための避けられない措置です。

「勝ち取った民主主義」という表現は使っていないものの、従北勢力(北朝鮮に追従する集団を意味する)から民主主義を守るための行動だとは言っている。

ところが、戒厳司令部が大統領の談話後に布告した措置には、国会と地方議会、政党の活動と政治的結社、集会、デモなど一切の政治活動を禁じる、すべての言論と出版は戒厳司令部の統制を受けるといった内容が含まれている。

まさに、「勝ち取った民主主義」を覆す、時計の針を巻き戻すような行為なのだから、「炎上」するのは目に見えていた。

戒厳令が韓国で出されたのは、1980年5月17日以来、44年半ぶりのことだった。この時も、民主主義を守るという名目で同じような措置が発表された。

同措置は軍が前面に出ることを意味した。これによって、1979年10月26日に強権的な大統領だった朴正熙(パク・チョンヒ)氏の死によって訪れた「ソウルの春」(当時を描いた同名の映画が、今年は日本でも上映された)と呼ばれる民主化ムードは、崩壊した。

今回の大統領談話に抗議するため、零下1度の国会議事堂前に老若男女が明け方まで集まったそうだ。「国会にまた軍人が来るとは考えもしなかった」と述べる人もいた。

44年半前のことが「集団記憶」となっているからだ。韓国メディアは、期末試験を翌日に控えた高校生もやってきた様子を伝えていた。若者も「勝ち取った民主主義」を認識しているからだろう。

政界も同じ動きを見せた。野党議員だけでなく、国民の力(与党)代表の韓東勲氏も、同党所属のソウル市長や釜山市長も、大統領談話に反対する声明をすぐに発表した。

さらに特筆すべきは、戒厳令を受けて国会にやってきた警察官は議場へ議員たちが入ることを阻止しなかったし、軍人も本格的には建物内には進入せず、もみ合い程度の対応しかしなかったことだ。「民主主義下の成熟した軍の姿勢を見せた」とも評されている。