2年間だけ日本のグループサウンズ(GS)にも夢中になった少女
東京・八王子の「荒井呉服店」の次女として生まれた荒井由実(ユーミン)は、音楽が大好きな赤ちゃんだった。
おむつを付けている頃からマンボを踊って可愛がられ、小学生になってからはザ・ピーナッツや坂本九などのポップスを歌って周りの人たちを喜ばせた。
そしてピアノと三味線を習い始めたことから、いっそう音楽に親しむようになっていった。
老舗だった呉服店を営んでいた荒井家には、家族ぐるみの付き合いをしていた米軍兵士の一家がいた。
父親はアメリカ人、母親が日本人、ユーミンよりひとつ年下の娘が幼馴染みだったので、日曜日になるとその家族と一緒に立川基地や横田基地に連れて行ってもらった。
そしてPXと呼ばれる売店で販売されていた、最新の洋楽レコードを買うようになっていく。
当時、LPはノータックスで810円、普通のレコード店の3分の1以下の値段だったのだ。
ジェファーソン・エアプレインやジミ・ヘンドリックス、クリーム、レッド・ツェッペリンなど、ロックの最新アルバムを手に入れては、熱心に聴いた。
その一方で、1967年から68年にかけての2年間だけ、日本のグループサウンズ(GS)にも夢中になった。
「私のグループ・サウンズ歴って、あっという間に次から次へと移り変わっていったけど、初めてファンになったのはタイガースで、中学1年の終わりくらいに好きになりました。3年生になる頃には私の中でGS熱は冷めてしまうんですけど、それまでは1人でライブを見に行ってましたね。基本は一匹狼。スーパー中学生だったんです(笑)」
生涯の友人となるムッシュこと、かまやつひろしと最初に出会ったのは、「銀座ACB(アシベ)」というジャズ喫茶でライブの出待ちをしていた時のことだ。
「スパイダースではなくてテンプターズのことを待っていて、しかもショーケン(萩原健一)じゃなくてドラムの大口広司さんが目当てだったんです。後に大口さんはウォッカ・コリンズでムッシュと一緒にやることになりますけど、出待ちをしていたら雨が降り出して、その時、不思議な髪型の人が出てきた。それがムッシュだったんです。その姿は、今でも目に焼きついています」
PXで手に入れた最新LPを携えて出待ちするようになったユーミンは、そのレコードに気がつくミュージシャンかどうかを、自分にとってのリトマス試験紙がわりにしていたという。