「スーパー中学生だった」時代の原動力を表現した『恋のスーパーパラシューター』

日本で手に入らない貴重なレコードをプレゼントしてくれる中学生を、センスのあるミュージシャンたちはみんな歓迎してくれた。

やがて親しくなったバンドの楽屋には、自由に出入りできるようになった。

ユーミンは、仲よくなったムッシュに頼まれて、何度かPXの売店でプロコル・ハルムの『月の光』など役に立ちそうなレコードを、本人の代わりに選んで買ってきたこともあった。

1970年2月25日発売『ムッシュー かまやつひろしの世界』(フィリップス)のジャケット。作曲・編曲だけでなく、多重録音を駆使して全楽器の演奏、ヴォーカル、コーラスも全てムッシュ自身が手がけた日本初のワンマン録音アルバム
1970年2月25日発売『ムッシュー かまやつひろしの世界』(フィリップス)のジャケット。作曲・編曲だけでなく、多重録音を駆使して全楽器の演奏、ヴォーカル、コーラスも全てムッシュ自身が手がけた日本初のワンマン録音アルバム

しかしGS熱が冷めてくると、絵も好きだったので東京藝術大学を目指すことに決めて、中学3年からは家庭教師がついて勉強しながら、御茶の水美術学院へも通うようになった。

自宅のある八王子、立教女学院のある三鷹台、美術学校のあるお茶の水、その三角形を往復する毎日が始まり、さらには文化人やミュージシャンのサロン的な役割を果たしていた有名なレストラン「キャンティ」のある六本木・飯倉界隈でも遊ぶようになった。

夜中にディスコへ行って朝まで踊り、始発電車で家に帰って、何もなかったように学校へ行ったこともあった。

そんな「基本は一匹狼。スーパー中学生」だった時代の行動力を支えていた気持ちの強さと一途さが、映像的かつファンタジジックに描かれたのが『恋のスーパー・パラシューター』である。

全体に静謐なタッチの楽曲が多いファースト・アルバム『ひこうき雲』のなかで、3曲目に収められたこの曲は、カタカナ単語の選び方や、「きっとうけとめて」という独特の言いまわしが歌詞としても新鮮だった。

1973年11月20日に発売されたファーストアルバムの『ひこうき雲』。写真は『ひこうき雲 [ユーミン×スタジオジブリ 40周年記念盤]』(2013年8月14日発売、UNIVERSAL MUSIC)のジャケット写真
1973年11月20日に発売されたファーストアルバムの『ひこうき雲』。写真は『ひこうき雲 [ユーミン×スタジオジブリ 40周年記念盤]』(2013年8月14日発売、UNIVERSAL MUSIC)のジャケット写真
すべての画像を見る

そして歌だけでなくアレンジが独創的で、ティン・パン・アレーの躍動感ある演奏もまた聴きどころがいっぱいだ。

レコーディングでドラムを叩いた林立夫が、ユーミンをこんなふうに語っている。

「ユーミンは歌詞に入り込みすぎないんです。一歩引いた語り部というか、映像的っていうのかな。シーンを俯瞰する歌い方だから、リスナーは曲の中に自分を置くことができる。シンガーソングライターゆえの作家性もあって絶妙だった」

なお、『恋のスーパーパラシューター』というテーマは、陸軍時代のジミ・ヘンドリックスが、パラシュート部隊に所属していたことからヒントを得たらしい。

文/佐藤剛 編集/TAP the POP サムネイル/『Yumi Arai 1972-1976』(2004年2月18日発売、UNIVERSAL MUSIC)のジャケット写真

参考/引用
「BRUTUS」2018年3月15日号