うわさ──都市伝説、学校の怪談
怪談については、民俗学者は体験談をあまり取り上げない。どちらかといえば「うわさ」のほうを論じたがる。というのも、民俗学が研究するのは、人々のあいだで共有され、伝えられていくもの(=共同構築されるもの、伝承されるもの)であることが多いからだ。たとえば「都市伝説」や「学校の怪談」などである。
ここまで何回か「都市伝説」という言葉を使ってきたが、実は定義するのがかなり難しい。もとはアメリカ民俗学の概念であり、大まかにいうと、近代化された社会(あるいは調査者と同時代の社会)において、「知り合いの知り合い」に本当に起きた出来事として出回っている話のことである。
その意味では、怪談に限らず笑い話や美談、犯罪行為などでも都市伝説になりうる。それに対して「学校の怪談」は日本民俗学の用語であり、主に小中学校の児童・生徒のあいだに伝わっている怖い話のことを指す。都市伝説も学校の怪談も、誰かの体験談として語られることもあるが、多くは「〇〇すると△△が出る」のように、一般化された知識のかたちで伝えられる(これを「俗信」という)。
まず都市伝説のほうを見てみよう。1988年、アメリカの民俗学者ヤン・ハロルド・ブルンヴァンの著書『消えるヒッチハイカー』の日本語訳が出版された(原書は1981年)。アメリカの都市伝説を題材にした民俗学書である。
タイトルの「消えるヒッチハイカー」は、自動車を運転していた人がヒッチハイクをしている若者を乗せたところ、一度も停車していないのにいつの間にかその若者が消えていた──というもので、同じパターンの話が無数に記録されている。ブルンヴァンのこの本が日本語に訳されたことで、「都市伝説」という言葉が日本でも広く知られるようになった。
都市伝説に相当するものは古くから日本でも知られており、たとえば先ほどの消えるヒッチハイカーに類するものとして、登場人物がタクシーとその乗客に入れ替わった「タクシー幽霊」の怪談は大正時代から現代まで語りつがれている。こうした話は、従来の日本民俗学では「世間話」に分類されていたのだが、それらを新しいジャンルにひとまとめにしたのが、80年代終わりの「都市伝説」概念の大きな意義であろう。
ブルンヴァンの「都市伝説」概念は、日本民俗学よりも大衆メディアのほうに大きな影響を与えることになった。当時の雑誌やテレビ、ラジオなどでは、マスコミの目をかいくぐって人々のあいだで流通する「口コミ」や「ウワサ」が頻繁に取り上げられており、「都市伝説」は、そうした通俗的な概念に学問的な装いを与えるものとして注目を集め、80年代末から90年代前半にかけてブームを迎えることになったのである。
このようにしてマスコミ的な色のついてしまった「都市伝説」という言葉は、早々に研究者たちから見放されてしまう。そのかわりに使われたのは、ほぼ同一の概念である「現代伝説」(contemporary legend)だったが、こちらは現在に至るまで一般化していない(※2)。