「ロックンローラーとして育てられたので」
なかば荒療治で短期間で留学の準備を進めていく岸谷。
付け焼き刃の語学力ではあったが、入学試験では面接官に「アイ・ワンツ・トゥ・スタディ」とだけ力強く言い放ち、見事ニューヨークにある私立高校に合格。
単身でアメリカに渡ったわけだが、まだ15歳の子どもである。ホームシックになることはなかったのだろうか?
「泣いたことはないですね。『親に弱みを見せるものではない』という思いがあったのと、僕は完全に母親の価値観を受け継いで、ロックンローラーとして育てられたので(笑)」
そう。彼はもともと、2世としての強い自覚は持ち合わせており、「自らを発信したい」「メディアに出たい」という強い気持ちはあった。
「生まれのせいで、そういう性(さが)になったのでしょうね。『いずれ、こうなるんだろうな』とは思っていました」
自分はすごい人間だ――。この気持ちは今も変わっていない。しかし、2世というしがらみから抜け出したいと思うことはなかったのだろうか?
「それはないですね。僕は特別扱いされるのが当たり前で、むしろ気持ちいいと思っていたくらいです。
もちろん、葛藤はありましたが、それは『普通になりたいのに…』というものではなく、『どうやったら僕は普通と思われなくなるのか?』という、何者でもない自分と、みんなが何者かだと思っている自分との乖離に関する葛藤です。
『注目しないで』などと思ったことは、まったくありません」
その一方で、2世として育てられた分、壁に突き当たるのも早かった。
「本当は音楽をやりたかったんです。ただ、中学2〜3年生で留学を考えているときに、二択で『このまま楽しく早稲田大学に入って音楽など好きなことをやる』あるいは『しっかりと勉強してお金を稼ぐ』という、どちらの自己実現を取るかで、とても悩みました。
ただ、最終的に『東京ドームには立てないよな』と思ってしまったんです。時代的な背景もそうですが、音楽が好きな分、わかってしまうんです。
それに、母親が日本史上最高のガールズバンドのヴォーカルというのもあります。やっぱり、どうやっても越えられない未来というのは面白くないですよね」
※後編では岸谷蘭丸が今伝えたい「留学」について話をきいた。
取材・文/千駄木雄大