「親父を喜ばせたい」との思いで芸能の道へ

「芸人になりたい」と告げた原口。厳格な父はどう返したのか。

「“うちの子じゃない、もう原口を名乗るな”ぐらいに言われましたよ。僕は“まあ芸名つけるからいいし”とか思ってましたけど(笑)。

でも、元々芸人になりたいって思ったのも、グレて親に迷惑をかけた時期もあったから親孝行したいなって思ったからなんですよね。

剣道を続けていたのも、親孝行がしたいからで。当時テレビでオリンピックを見ていたら、金メダルを掲げた選手がインタビューで“両親に感謝します”って言ってたんです。それで“これって親孝行になるよな”と思って。

だから“剣道でオリンピックに出よう”と思ってずっと頑張っていた。

でも高校1年の春、剣道はオリンピック競技にないということに気づくんですよ。ちょっと遅かったんですよ、気づいたのが(笑)」

剣道では親孝行ができない――。そう気づいた原口は「中途半端は嫌だ」と段位を取得したのち、きっぱりと剣道を辞めた。

「辞める時は親父にはブーブー言われましたけどね。それで、次に何をしようか考えたときに、テレビの世界が華やかそうに見えて“こういう世界も良いな”って。もし成功したら親孝行できるかもしれん、と。それで芸能にシフトチェンジしたんです」

原口は反対する父を振り切って上京。コンビからピンへ、ピンからモノマネ芸人へとシフトチェンジを繰り返しながら必死に道を模索するなか、胸の片隅にはいつも父への思いがあった。

「どこかでずっと親を喜ばせることをあきらめられない自分がいて、“このままじゃ親孝行できない”“親父の喜ぶ顔が見れないかもしれない”と必死でしたね。

結局は自分がやりたいことをやってるんだけど、親父を喜ばせたいとは常に思っていて。焦っちゃいけないんだけど焦る自分もいたりしました」

ある時、オーディションで即興で披露した明石家さんまのモノマネで一躍脚光を浴び、リアルを追求した新しいモノマネスタイルが話題を呼んだ。世間にその名前が浸透し、いつしか芸歴も20年を超えベテランの域に。そんな彼に訪れた父の末期がんの知らせ。

(文中敬称略)

後編につづく

取材・文/市岡ひかり