「真犯人が動き出した」

9月26日、死刑囚の袴田巖さんの再審裁判で無罪が言い渡された。事件発生から58年、冤罪に対する裁判所の「逃げ腰」が、世界中を見渡しても例がないほどの人権侵害を生んだ。

〈袴田事件〉日本の裁判史上、初めて使われた「捏造」の文字…弁護人までもが長年、この言葉を忌避し続けた理由_1
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この事件では捜査機関(警察・検察)が有罪の証拠を「捏造」していた。「疑わしきは被告人の利益に」の大原則を捨て去り、捏造を見逃し、「疑わしきは検察の利益に」を実践し続けた裁判官たちの責任は限りなく重い。

筆者は、26年前にこの事件を取材し、テレビドキュメンタリー「死刑囚の手紙」を放送した。袴田さんが獄中から姉の秀子さんに宛てた膨大な数の手紙を紹介しながら、事件、裁判の詳細を伝えた。

外に向かって開かれた唯一の窓ともいえる手紙を通して、袴田さんは思いのすべてをぶつけた。時には怒りをほとばしらせ、時には絶望のどん底から、そして時には非常に冷静な推理を、家族に向けて発信し続けた。

30年分の手紙を読み終えた時、私は心の底から袴田さんの「無実」を実感することができた。もし、裁判官がこれをまともに読んでいれば(実際に弁護団はこの手紙を証拠として提出した)、袴田さんの無実にもっと早く辿り着いただろうと思うのだが、実際には、裁判官は検察官の提出した捏造証拠しか見ていなかった。

今回の裁判で「捏造」と判断された「5点の衣類」が味噌工場のタンク内から発見されたのは、事件発生から1年以上たってからのことだった。ズボンやシャツなどの衣類には大量の血が付いていた。

それまで検察官は、冒頭陳述で袴田さんのパジャマが犯行着衣であると主張してきたが、説得力がなく、弁護団はこれを突破口にしようと目論んでいた、その矢先だった。

「真犯人が動き出した」と袴田さんは期待を込めて手紙に書いてきた。ところが検察官は、緊急に開かれた法廷で、パジャマが犯行着衣であるとの冒頭陳述を撤回し、「5点の衣類が犯行着衣であり、かつ、袴田のものである」と主張した。

そして、その主張を裏付けるように、翌日、刑事が家宅捜索で袴田さんの実家を訪れ、タンスの中からズボンの端布(5点の衣類の一つであるズボンの裾)を発見するのである。