この世界を信じ切ることができない
こういうことを言うと、「幸せなんてものはそんな大それたものではなくて、お花が綺麗だなとか、空が青いなとか、家族や友達と過ごす喜びとか、そういうことを感じられるのが幸せなんだよ」という人もいると思う。
しかし実際のところ、食うに困るのでは花を見たり、空を見たり、人とかかわったりする余力も湧いてこないのだ。税金が上がって給料は増えないのに、今の日本社会は自分で稼いで食べていけない人への風当たりは強い。病気や障がいを持っている人やマイノリティへの風当たりはさらに強い。
「普通」のブロックだけを踏んで歩いていける人がほとんどいないのに、そこから外れたらなかなか引き上げてもらえないのだ。
花の美しさや空の青さや人とのかかわりは心を打つし、そういったものに触れるとき、たしかに「この世は生きるに値する」と思える瞬間はある。
しかし、人間が作った社会の仕組みがそういう小さな幸せを台無しにしていると思えてならない。だから私はどうしても、この世界を信じ切ることができない。
私はもう宮崎駿が映画を作る理由だった「子供」ではなく、「生きるに値する世界」を作る側の「大人」になってしまった。私が子供を世に生み出すことはないかもしれないが、これからの子供たちが大人になったとき、「この世は本当に生きるに値するのか?」なんて思わなくていい世界を作っていく側なのだ。
正直、全然明るい気持ちになれない。
それでも、この世を構成している一人の大人なりに、少しはマシな世の中になるように、小さなできることをやっていくしかない。
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