ジョー・ストラマーのブレないカッコよさ
1970年代後半のイギリスでは失業者が増えて、将来への希望を見出せない若者で溢れ返っていた。
そんな中、歴然と存在する階級社会や古い伝統に囚われず、「やりたいことをやってもいい。新しい自由な生き方を自分たちの手で作る」というのが、新しく起こったパンクとインディペンデントの精神だった。
1977年にデビューしたザ・クラッシュは、数あるパンクバンドの中でも特別な存在だった。
それは中心メンバーのジョー・ストラマーの、一貫したブレない姿勢によるところが大きい。
1980年、ザ・クラッシュの名を音楽史に永遠に刻むことになったアルバム『ロンドン・コーリング』の成功を受け、ジョー・ストラマーはまさに”時の人”になっていた。
しかし、ジョーはスターとして特別に扱われることを頑なに拒否した。
逆に、ホームレスを見かければ酒代に消えると分かっていてもお金を渡し、コンサートに行くお金がない若者を見つければ、会場にゲストとして招待した。
ジョーの招待者リストはいつだって、そうした人たちの名前で溢れていた。もちろん移動ひとつでさえ、いつも地下鉄を利用していたという。