越路と岩谷の友情が続いた理由
昔から「女同士の友情は成立しない」「長くは続かない」とよく言われていたものだが、越路と岩谷は宝塚歌劇団の屋根の下で出逢って以来、喜びも悲しみも共にして生きてきた。
1959(昭和34)年には、越路の結婚という大きな転機があったが、それを機にお互いが相手を思いやるようになり、ますます友情を深めていったという。
岩谷は著書『愛と哀しみのルフラン』の中で、結婚と二人の信頼関係についてこう記している。
“私たちの場合、かえってそれが友情を深める絆になり、大人の女同士の友情は歳と共に成長し深くなっていったとさえ思われる。
私は、心の中では、いつも保護者のつもりでいたが、人生経験は越路さんの方が豊かで、教えられることが多かった。
長い年月の間、お互いに裏切ることも裏切られることもなかったのは、ひたすら信じあっていたからではなかっただろうか。この信頼感は、やはり長い歳月の上に培われ積み上げられてきたものだったと思う。”
岩谷はどんなに親しくても、「その人の生活に土足で踏み込んではいけない」というルールを自分に課していた。それを最後まで貫き通してきたからこそ、越路との友情を全うすることができたのだ。
岩谷は共に歩んだ生涯の友との間で、一つ約束したことがあったという。
“歳をとって、仕事をしなくてもいい時が来たら、2人で外国へ旅をしようというのが、私たちの約束だった。彼女は歳とともに、ますます素敵になるはずの人であった。”
しかしながら、その約束は叶わないままに終わる。
1980(昭和55)年11月7日、越路吹雪は癌と闘いながら、燃え尽きるようにひとり旅立ってしまったのだ。
越路が亡くなった後、岩谷時子は悲しみの底に沈んだ。そして孤独の中で『眠られぬ夜の長恨歌』を書いた。立ち上がった作詞家は復活し、再びミュージカルの仕事で活躍。2013(平成25)年10月27日、永遠の友のもとへ旅立った。
文/TAP the POP サムネイル/2012年11月7日発売『越路吹雪ベスト100』(UNIVERSAL MUSIC)
●参考・引用文献
岩谷時子著『愛と哀しみのルフラン』(講談社)
浅利慶太著『時の光の中で 劇団四季主宰者の戦後史』(文藝春秋)
越路吹雪・岩谷時子著『夢の中に君がいる―越路吹雪メモリアル』(講談社)
江森陽弘著『聞書き 越路吹雪 その愛と歌と死』(朝日新聞社)