「被疑者の罪を最大化」する警察
―― 警察小説、ミステリの常道では、事件捜査によって犯人を逮捕することがゴールです。しかし『こぼれ落ちる欠片のために』で描かれている三つの事件は犯人捜しからこぼれ落ちてしまった謎を拾い上げるようなミステリですね。
書き始める時に思ったのは、犯人を捕まえるまでに見えていた光景と、犯人を捕まえた後に見えた光景、この二つがどう違うのかをうまく対比できたらいいなということでした。
―― どの事件も、私たちが報道で知る事件の裏側にはこんなことがあるんじゃないかと思いました。警察が法律に縛られた権力機構であることを明確に位置づけられているのもリアルです。
警察もまたほかの役所と同じように手続きを遂行するための機関であって、それ以上のものではない。ただ、手続きに忠実であろうとしても、そこからこぼれ落ちてくるものがやっぱりあるだろうなと思います。それを描けば人間ドラマとして成立し得るだろうなと。
―― 警察小説に挑戦するということで、警察について取材したり、調べたりされたんですか。
最初に取材したある新聞記者の方に、「結局、警察官は何のために働いているんですか?」と質問しました。すると「被疑者の罪を最大化することです」という言葉が返ってきたんです。
―― 作中にも出てくる印象的な言葉ですね。「捕まえたやつの罪を最大化すること」だと。
その記者の方は小説で使ったのとは微妙に違う意味合いで言ったのかもしれません。しかしその視点はすごく面白いと思いました。警察官たちはまず被疑者を捕まえる。そしてそいつがどんな悪いやつかを証明するためにエネルギーを費やす。うすうすはわかっていましたが、あらためて言葉にしてみるととても怖いと思いました。
―― 「罪を最大化」というのは被害者にとっては当然そうあってしかるべきですが、冤罪の可能性を考えると怖いですね。社会のシステムとしては、警察が罪を最大化したとしても、検察がチェックして裁判所が裁く。『こぼれ落ちる欠片のために』には警察もまた司法制度の一部なのだという冷静な視点があり、その中で刑事たち個人が何を考え、どう行動するかというドラマが描かれています。本多さんの小説を読んできた読者にとって、その冷静な視点が本多さんらしいなと感じると思います。
警察小説を書こうと思った時にイメージしたのは、海外ドラマの「ロー&オーダー」なんです。アメリカの超長寿ドラマシリーズなんですが、警察がまず犯人を捕まえる。これがドラマの前半。後半に、被疑者を起訴できるか、公判維持できるか、で悩む検察の話があるんです。この構成で書けたらいいなと思ったんですが、アメリカと違って日本の場合は検察が独自に捜査することは稀なんですよね。検察が起訴するかどうかを決める時に判断材料にするのは警察の捜査結果なんです。
そういう前提がある中で、もしも警察官が「警察は被疑者の罪を最大化することが使命である」と考えているとしたら怖いですよね。警察が担っている役割の大きさに比べて、警察官個人の持っているメンタリティーがシンプル過ぎたとしたら。その考え方で警察が動いていくとしたら、その時に個々の捜査員の中にどんな葛藤が生まれるのかを書いてみたいと思いました。
和泉と瀬良の関係は?
―― 『こぼれ落ちる欠片のために』は三つの物語で構成されています。最初の「イージー・ケース」は仕事熱心な若い介護職員が殺される事件。警察の捜査を淡々と描いて、事件解決で終わるのかなと思いきや、そこから意外な展開になっていきます。読み終えると「イージー・ケース」というタイトル自体が皮肉に思えます。
最初は「イージー・ケース」を単行本のタイトルにするぐらいのイメージで書いていました。簡単に事件は解決したけれど、そこから漏れているものがこれだけあるよね、と。ただ、その部分に関してはこの「イージー・ケース」で書けたと思ってしまったので、次は何を書こうかと考えたのが「ノー・リプライ」です。
―― 次の「ノー・リプライ」で和泉と瀬良が正式にバディになり、和泉の瀬良への言葉が丁寧になっていきますよね。瀬良を理解しようとするプロセスも印象に残りました。
二人の間に発生するものは恋愛感情ではあり得ないので、どんな連帯にしていこうかを考えました。和泉のほうは瀬良の持つ観察力に対する信頼と、その能力を純粋に真実に近づくために使おうとすることへの信頼。瀬良のほうは自分の能力を信じ、正しく使おうとしてくれる和泉に対する信頼、という形で成立したらいいなと思いました。
―― 「ノー・リプライ」は四十代と二十代のカップルの間で刃傷沙汰が起きて、殺人か傷害致死かが問題になります。
被疑者を捕まえました。こういう動機があります。だったら殺人罪だろう、という流れの中で、見過ごされてしまうものに対して、気づいてしまった瀬良と和泉がどうするかということですね。
―― 三つ目の「ホワイト・ポートレイト」は子どもが行方不明になり、そこに有力な被疑者が現れて刑事たちの熱量が上がっていく。その熱狂の中で、和泉と瀬良は真実にたどり着けるのかという物語です。
冤罪事件の記録を調べると、なぜこの人が犯人になり得たんだろう、と疑問に感じる事件が意外に多いんですよ。明らかに途中から犯人を作りにいっている。ただ、警察も犯人を作りたくて作っているわけではないと思うんです。ちょっとしたことでその人が犯人だという流れになってしまったんでしょう。わっとそっちに流れていき、誰にも止められなくなってしまったんだろうなと。その流れに抗うのが和泉と瀬良の仕事なんじゃないかと思ったんです。
―― 人と犯罪に「恐怖心」を持っている二人だからですね。この二人の成長と活躍をもっと読みたいという読者がたくさんいると思います。続編は考えていますか。
そうですね、もう少し成長させてあげたいというか、もう少し俯瞰 して見られるようになった時に出てくる、瀬良と和泉のギャップみたいなものも書いてみたいとは思いますね。
―― 『こぼれ落ちる欠片のために』はこれまで小説やドラマ、映画で描かれてきた警察ものをいったん解体して、警察の社会的な役割や、法律の縛り、組織としてのあり方などを考えたうえで組み立て直したような新鮮さを感じました。本多さんは『dele』で映像作品とのクロスオーバーもされていて、小説というジャンルそのものについて考える機会が多いと思いますが、今回の作品を書いて感じたことはありますか。
若い頃はただ書きたいものを書いていればよかったんですが、これだけ長く書いてくると自分の中の衝動だけでは書けなくなってきますね。自分はなぜ小説を書くのか、書くとしたらどう書けばいいのか、読者にどう読んでもらいたいのか……みたいなことを一々考えてしまいます。それがいいかたちで小説に生かせればいいんですけど。
ただ今回、警察小説を書いてみて思ったのは、これから自分が軸足を置くのは、自分の頭だけで考えたことではなく、ほかの人にこの世界がどう見えているかを描く小説なんじゃないかということです。小説を書き始めた頃のように自分の中ではぐれている感情を見つけて書くよりも、どこかの誰かからこぼれ落ちてくるものを拾い上げて客観的に書いたほうが面白いんじゃないか。今はそんな気がしています。