「つながればパワー」という信念
今西 『つながればパワー』。この本が出た1988年当時は、せいぜい携帯電話があったぐらいで、今みたいにSNSでつながるとかメールでつながるということができなかったわけですよね。このときつながろうと思ったら、泉さんみたいに手紙を書くか、電話するしかなかった。その頃から「つながればパワー」という先見の明がすごかったなと思うんですけど、どうですかね。
泉 先見の明もすごいけど、40過ぎの当時の人が、「つながればパワー」で政府に勝てると思うのがすごいよね。逆に私はこれに感動して、大きな組織、団体ではなくて市民を信じて、市民の力と力が重なり合えば力になって勝利できるんだと、社会は変えられるんだと。その信念を私はこのタイトルからも一貫して、石井さんに学びました。
どっちを見て政治をするか。それは国やお偉いさんではなくて、庶民の方を向いて仕事するのだと。信じるのは庶民だと。一番すごいのは、本当に感動するのは、石井さんは庶民の力を信じていたということ。
たとえば、民間の機関で国の会計をチェックする「国民会計検査院」をつくるという構想。普通思わないですよ。選挙に何の得もないですよ。「国民会計検査院で私たちの払ったお金の流れを、税金の使い道を透明化していこう」ということを、早い段階で言っておられた。
石井さんの『つながればパワー』の帯文って「私は政治をこう変えたい」、副題は「政治改革への私の直言」ですよ。政治改革が必要だということを1988年に叫んでおられて、国会議員の国政調査権を使って、お金の透明化もはかろうと動かれたわけですよ。
それはまさに、今の問題ですよ。裏金問題もそうだし、私たちのお金はどうなっているかも、当時から今に全部つながっている話で、石井さんは30数年前にそれを見通し、庶民、国民の力を信じていた。
今振り返ってみますと、私は石井さんに対して思うのは、やっぱり「自分の中に今も生きている」のはほんまにそうで、明石市長の時も、しんどい時もありましたけど、その時も石井さんの思いというものを自分も受けながら、「信じるべきは市民なんだ」と。最後は市民が立ち上がってくれて、きっと市民が一緒になってやってくれるという思いは、ずっと根っこにありました。
石井さんなくして明石市長としても頑張れなかったし、そういう意味では、私の中では石井さんは生き続けているし、私がまだ果たしていないもう一つの正義である「お金の闇」。
今回の本では、私が衆議院議員時代に見た、財務省と厚労省の抗争の歴史や、国交官僚の無駄遣い競争についても書きました。これからは、明石市長時代にはできなかった、国家の不正の研究も、しっかりやっていきたいと思っています。
生きてやり抜け、無駄死にするな
日本が、崩壊寸前のソ連と同様の「官僚社会主義国家」であることを見抜き、国家予算でブラックボックス化していた特別会計を調査していた石井紘基。
「日本がひっくり返るくらい重大なこと」を知り、その資料を国会提出する2002年10月25日、何者かにより、自宅駐車場で刺殺された。翌日、犯人を名乗る男が警察に出頭し、逮捕されるが、その後も石井氏の関係者が襲われたり、脅されることがあったと、この日のイベントでターニャ氏は明かした。
石井 こういう場で言うのは初めてですけど、実はある組織の方から、父のことを「2回警告したけど聞かなかったから……」と言われたんです。ですから、あの事件の背景には想像よりもずっと大きな組織があったようなんですよ。私も父が亡くなる前後は政治を離れていたこともあって、父を取り巻いていた状況を理解するために、ずっと沈黙して観察していたんですよね。
そうしたら「ああ、この人がこういう動きをしていたのか」というふうに、政治の世界の裏というか、野党もこういう裏があるのかといった構図が見えてきて。
「なんで私はこれを見せられているのかな?」ということも思うんですけど、結局でも今この時代、我々が「洗脳されてる」と言ったら変ですけど、「思い込まされている」ことというのは非常に多くて。父が調査していた、この国の構造もそうですけど、表面的に見えている世界と、実際とは違いますから。
泉 生々しい話ですけど、2002年に石井さんが殺されて、その翌年の2003年には私は国会議員になってるわけですね。その時に私も周りの国会議員から、「やめておけ」と随分言われて。そのネタは触らない方がいいと言われ、さらにその前の石井さんが殺された段階でも、国会議員のチームで、真相解明に向けて動いたことはあったんです。
でもそれも、批判する気はありませんけど、皆さんビビってしまって。やっぱりもう、ああいう殺され方をしてしまうと、みんな本音としては「もう触らないでおこう」ということになってしまい、有志でチームを組んでいた動きが、完全に止まってしまった。
私自身も国会議員になった時、改めてその方々に「やりましょう」と声をかけたんですけど、「泉くん、無理しない方がいいよ」と言われたので、あの時点で、本当はもっと真相を究明する動きを作っていれば違ったかなと。これは自分の反省も含めてですけど。
石井 いろんな思惑があります。だから選挙の中での思惑とか、政治の中でも裏社会的な組織みたいなものもあったし。あまり知られていないんですけど、事件直後に、父と活動していたある国会議員が演説中に切りつけられているんですよ。
近年、国会Gメンの資料を見ていたら、ほとんどその議員が請求した資料でした。でも、その人を含めて皆さん、事件後は口を閉じてしまって。ある同僚議員を除いては、みんな何か知っていても「知らない」みたいな感じで。
他にも、事件の1週間後に起きていたある脅迫を、つい数か月前に私が知ったというようなこともあります。犯人としてすでに拘置所に入っている人がいたのに、では誰がやっているのですか?と。
その件も周りの人が私に気を遣って、知らせなかったようです。
泉 2002年って実はもう一つ事件があって、違うようで私の中では共通するんですけど、三井環事件というのがありました。検察庁の現職の幹部が、「実は検察も裏金を作っている」ということを告発しようとして、テレビ局の取材に応じ、その収録に行く途中に微罪で逮捕された。本当に単なる微罪なのに、結局裁判で実刑を受けて、完全に口封じをされたという事件です。
当時の大阪地検特捜部が、身内の裏金を揉み消すために国策捜査をして、内部告発者を逮捕したのが2002年。あの頃の空気感というのはやはり、「物言えば唇寒し」の感があり、その空気感の中で石井さんの事件が起きました。
だから石井さんの周りの皆さんも、自分が可愛いというか、怖いという気持ちもあったので、事件の真相究明よりも、「触らぬ神に祟りなし」となってしまった。でも敢えて言うなら、紀藤さんは石井さんのために事件直後から立ち上がって、ホームページ(「故・衆議院議員石井こうき事件の真相究明プロジェクト」)を立ち上げ、真相究明を呼びかけていました。
紀藤さんは体を張って、今日まで不正と戦ってこられた方だし、石井さんの件も最初から一貫して筋を通しておられる。でもその紀藤さんをしても、未だに真相がわからない状況ですからね。
紀藤 これは国会議員になって、国政調査権を使って調べないとかなり厳しい。弁護士の力では無理です。より強い権限を持った調査をしないといけない。やっぱり国会議員がビビっちゃったら、もう難しいですよね。ビビらない国会議員をつくるしかないです。
今西 それはもう、ピンクのシャツのこの方しかいらっしゃらないかなと思うんです。
泉 そこは結構本音で、申し訳ない気持ちがあるんですよ。石井さんが殺された翌年に、「恩師の遺志を継ぐ」と言って、国会議員になったにもかかわらず、事件の真相究明や不正の追及は手付かずの状況で。国家の闇が不問に付されたことから、今の日本になってしまっている部分があるので、私としても責任を感じている。そういう気持ちはありますね。
石井 でも私は心配していたんです。父の1周忌の時に、泉先生は石井紘基を熱く語られて、あの時も父を罠に陥れたと噂されたような人たちがいっぱい来ていたんですよ。それで私は「泉さん、目つけられちゃうな」と思って心配をしていたんですよね。
私はやっぱり、生きてなきゃ何もできないと思うし、潰されたら何もできないんですよ。それには、機が熟すタイミングというものがあると思います。私が今までずっと自問自答しながら考えてきたのは、父があの世でもし私に望んでいることがあるならば何かということです。
きっと、絶対「生きろ、生きてやり抜け」と思っていると思うんですね。無駄死にするなって。そのために俺がこういう目に遭って、身を以て訴えたんじゃないかって。
また、事件そのものを解明することについても「父が亡くなった不幸な日を追い続けることに、どれだけの意味があるのか?」と。
私は、父の没後10年頃からは、偏向報道で書かれたことではなく、父が信念を通して命を賭したこと、この事件は何かおかしいんだということが多くの方々に分かってもらえればいいと思うようになりました。それよりも、父の生きた時間、父の功績を知ってもらうことの方が娘として親孝行出来るのではないかと。
なぜなら仮に、実行犯や指示を出した人を見つけ、その間に入っているブローカーを見つけ、さらにその大元のどこか、日本なのか、もっと上のどこかの大きな力なのか。もし仮にそこにたどりつけたとして、じゃあ何ができるのか?と。
亡くなった父の命も戻ってはきません。
これは石井紘基だけじゃないんですよ。もしかしたら時の総理も、何か大きな力で脅されていたかもしれません。じゃあ、一体それ誰がやっているんですか?
私たちは、まずその構造を理解することの方が、意味があるのではないかと思うんですよ。
押さえつけられてもゴマをすって生きていかなくてはならない今のこの世界。みんなうすうす嫌だと思っているはずだし、本当のことを言ったら、叩かれる。潰される。みんな自分の生活があるから、何も言えない。それは仕方ないです。だけど、真実に気づくこと。この一歩からだと思うんです。
だから、「つながればパワー」じゃないけど、一人ひとりが無力じゃない、この国で起きていることは決して他人事でもない。無関心ではなく本当のことを知ること、つながっていくことからだと思うんですよね。(つづく)
構成/高山リョウ 写真提供/石井ターニャ 撮影/内藤サトル