父が残した“正義”を胸に…娘が語る決意
2021年7月のある日、私は再び事故現場にいた。事故から2年と半年、判決が確定してから4ヶ月が過ぎているが、そこにはいまも綺麗な花が供えられていた。「月命日には家族揃って欠かさず手を合わせている」と杏梨が話していたことからして、遺族によるものだろう。そこには勝美が誰よりも可愛がっていた3歳になる孫の姿もあったという。杏梨の言葉が思い出される。
「この子のためにも、父が貫いてきた〝正義〟を残したい」
しかし、その願いは無残にも打ち砕かれている。
〈つらくてもずいぶん余裕があるんだね〉
これは、遺族が化粧をして会見に出たことについて揚げ足を取った書き込みである。裁判後に出産した妹にまで皮肉が送られた。加害者からの謝罪は未だにないまま、SNSを通じた家族への中傷は、判決確定後も続いたのである。
ネット世論は言う。被害者は被害者らしくあれ。では〝被害者らしい〟とは何だろう。被害者は犠牲者のことだけを思って粛々と残りの人生を歩むべき、などという意見は決して通してはならない。が、いくら自問自答しても、私には、知枝の言葉が胸を衝く。私は被害者にすらなれなかった──。
一家の大黒柱を亡くした遺族は、一時的に親戚から借金をして暮らし、現在は姉弟みなで働きに出て、知枝を支えている。匿名で誹謗中傷を続ける社会も、取材者の私も野次馬でしかない。どころか自分の親じゃなくて良かったと、どこか安堵している。被害者は自立するよりなかった。父を亡くし、心を病み、司法にまで見限られたとしても。
杏梨は最後に語った。
「いろいろつらいことはありました。でも、最後はやっぱり正義感が強かった父のことを思い出して頑張れました。父だったらどうするんだろうって常に考えていました。本当は判例を変えたかったですけど、それはできませんでした。でも、いつかこんなことはおかしいって認められる日が来ることを信じています」
そして、被害者支援をできる範囲でしていく決意だと、杏梨は続けた。
「もし同じような人がいたら助けてあげられる人間になりたいです」
確かに勝美の正義は受け継がれていた。と同時に、これが〝被害者らしい〟の答えなのではと、私は改めて思うのだ。
(文中敬称略)
写真/『事件の涙』より