テレビ番組で、火薬を仕込んだドラムが大爆発!
最終日となる18日、ザ・フーの出番が回ってくると、同じくイギリスから参加していたアニマルズのエリック・バードンによってこう紹介された。
「このバンドはあらゆる意味でお前たちを破壊することになるだろう!」
この時もザ・フーはライブの最後に楽器を壊し、観る者を唖然とさせた。ところが、この日もっとも脚光を浴びたのは、ザ・フーの直後にステージに上がったジミ・ヘンドリックスだった。
圧巻のギターテクニックに加え、最後にはギターに火をつけるというパフォーマンスで、会場を熱狂の渦に包んだのだ。
当然のごとく、ザ・フーとジミとの間では「どちらが先にステージに上がるか」で、本番前に一悶着あったらしい。だが、観客席にいたピート・タウンゼントはジミのプレイを見て圧倒されたという。
すっかり話題を持っていかれてしまったザ・フーだが、それから2か月後に出演したテレビ番組でとんでもない事件を起こす。
1967年9月17日。この日はアメリカの人気番組『スマザーズ・ブラザーズ・コメディー・アワー』の収録だった。ゲストとして呼ばれたザ・フーは、代表曲である『マイ・ジェネレーション』を演奏した。
曲が終わろうという時、いつものようにピートがギターを壊し始めると、それに続いてドラマーのキース・ムーンもドラムセットを倒しながら、バスドラムに仕込んだ火薬を引火させた。
しかし、キースはテレビの収録ということもあり、いつも以上の火薬を仕込んでしまった。そのため、ステージは凄まじい爆発音とともに煙に包まれ、爆風が直撃したピートの髪は燃え、耳に障害が残るほどのダメージを負う。バックステージにいたゲスト出演者の中には、気を失う者もいた。
モンタレーのフェスで予言した通り、ザ・フーのパフォーマンスは観る者の常識を破壊するほどの衝撃を全米にもたらした。
「このテレビ番組をポップ史における一大モーメントにしたのはキースだったかもしれない。だがヤツは時に、最低最悪な男だった」
番組での事件による効果は絶大だった。直後にリリースされたシングル『恋のマジック・アイ』は、全米チャートでバンドにとって最大ヒットとなる8位を記録。ザ・フーの全米進出において、ギターとドラムセットの破壊は間違いなく起爆剤となった。
その一方で、破壊的なパフォーマンスはこれ以上ないところまで行き尽くしてしまい、さらなる進化をするためには、新しい何かが必要と感じていたのかもしれない。
そこから誕生したのは伝説のロック・オペラ『トミー』だった。
文・構成/TAP the POP サムネイル/Shutterstock
参考文献:『ピート・タウンゼント自伝 フー・アイ・アム』(ピート・タウンゼント著/森田義信訳/河出書房新社)